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 今から数年前、ウエスト・ロサンゼルス・ホーリネス教会の「週報」(教会報)を教会の外の方々に開かれたものとしてデザインも内容も刷新することになり、そこに新たに「 キリスト教Q&Aーそこが知りたい 」のコーナーが誕生しました。

 正式な執筆者が見つかるまでという条件でそのコーナーの執筆を引き受けたものの、そのまま二年半が経過いたしました。この本はその原稿を修正し、加筆したものです。

 私にとって第二の母教会といえるこの教会での執筆の奉仕が、一冊の本に変身することは、教会員の方々の愛のサポートと励ましがなければ実現しなかったでしょう。


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 『Q&A』を書くに当たって悩まされたのは、答え以上に質問でした。与えられた質問は数が少ないばかりか、私のような者には手に負えないものばかりでした。

 そこで、私が神学校を卒業してから十数年の間に実際に受けた質問を思い出し、それを「Q」にまとめました。そして、その質問をされた方に手紙を書くような気持ちで、書かせていただきました。

 ところで「答え」には悩まなかった、と言えば嘘になるでしょう。確かに、悩みました。しかし、ある時からこの悩みから解放されたのです。

 それは、学校のペーパー(小論文)の締切りと『Q&A』の原稿の締切りとに追われ苦悩するただ中で起きました。

 答えに行き詰まり、別の質問に逃げようとした時、「キリストならこのような時どうするのだろう」と想い廻らしていました。すると「答えなくてもいいのだ。ただ、その質問を持ってきた方と共に悩むことだよ」という声がどこからともなく心の耳に響いてきたのです。

 実際、主イエスは疑問にお答えになることよりも、むしろ逆に疑問を投げかけられ、人々をさらに奥にある真理の世界(神の国)へ招かれました。そして共に歩み悩まれ、それ以上に十字架に至るまで、私たちの問題とその根底にある罪とを背負われたのです。

 キリストのようにはいきませんが、少なくとも、答えや正解にとらわれる事からは解放されました。しかし、それよりも重い任務に気付かされました。それは、「質問文」や「答え」にではなく、「質問者」の現実に目を向けることでした。

 質問をされる方と共にその質問や疑問をきっかけとして、その背後にある現実の生活での苦しみや迷いに共に取り組み、人生の真実や真理を求める旅の道さき案内人として共に歩むということでした。


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 さて、旅を続けるに当たって、まず大切なことは、今私たちがどこにいるかということです。先ずは、大きな歴史という地図を広げて、私たちが選ばずして置かれている時代とそこで生きる生活の状況を見てみましょう。

 今という時代を巨視的に見ると、「ポスト・モダン」という言葉が浮び上がってきます。この言葉はこの時代の特質を暗に示してます。

 つまり、今という時代は表面的には近代(モダン)化はされたものの、近代化を支えてきた生き方や価値観はもはや過去のものとなった (ポスト)、という状況にあるということです。

 では、近代化を遂げた社会は全体として次の新しい時代/世界に入ったのでしょうか。いいえ、歴史の流れの中でみるなら、私たちは近代という過去と、まだ見ることの出来ない次の時代との「狭間」に生きているのです。

 その意味で現代は模索の時であり、時代と時代の「狭間」にあって様々な生き方、考え方、価値観が入り乱れる時代なのです。

 ポスト・モダンに生きる私たちにとって重要な課題のひとつは、近代文明によって物質的な豊かさがもたらされた反面、心が取り残されてしまったということです。

 便利さによって、からだは楽になり、様々な快楽に興ずることが可能になりました。しかし心は空しいのです。「こころ」と「からだ」はまさに分裂状態にあり、その「狭間」で私たちはもがいています。

 さらに、この「狭間」という現象は、ひとりひとりの人生のあらゆる場面に見え隠れしています。

 たとえば、変に大人じみてさめているこどもや、大人になりきれない大人。思春期という一時的な「狭間」の期間が現代では極端に引き伸ばされており、私たちの多くは「こども」と「大人」ふたつの世界の狭間で迷い混乱しています。

 この視点で生活の現実を見直して見ると、様々なかたちで「二つの世界の狭間」で生きている現代人の状況が浮き彫りにされてきます。

 たとえば、仕事と家庭、親の世代と子の世代、男の世界と女の世界、常識や理性の枠とそれらを超える宗教性、信仰と不(無)信仰、理想と現実、生と死、作った自分と本当の自分、等など・・・。

 狭間に取り囲まれた私たちは、しばしば進むべき道も、生きる真の目的も失い、迷い、悩み、疲れ、そして傷ついているのではないでしょうか。行き場を失い、安息の場を失った魂は彷徨い、まさに「迷える子羊」となってしまったのです。


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 この本で取り上げた一つ一つの質問や疑問は、意識するしないにかかわらず、こういった具体的な狭間の中から投げかけられたものといえるでしょう。

 そして、これらの問いの奥底から「このままで本当にいいのだろうか」「いったい私はどこにむかっているのだろうか」「いったい真実はどこにあるのか」という魂の叫びが聞こえてきます。

 目先の忙しさに流されやすい私たちに今必要なのは、これらの問いへのインスタントな答えなのではなく、疑問を契機として立ち止まり、静まって「神を想う時」ではないでしょうか。

 そして、神から与えられた「人生航路の羅針盤」ともいえる聖書の光をもってもう一度自らを吟味し真の生き方、在り方を見つめ直すことではないでしょうか。この本が、その助けになれば、と願ってやみません。

「あなたのみ言葉は、わが足のともしび、わが道の光です。」(詩篇119・105)


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 私事ではありますが、この本が誕生しようとするその只中で、三女が誕生いたしました。しかし、娘は生後まもなく心臓と肺の二度にわたる大きな手術を受け、私たち家族は今まで味わったことのない嵐を通過いたしました。

 そういった中で教会の方々をはじめ実に多くの人々が祈ってくださり、また様々なかたちで私たちを励まして下さり言い尽くせない感謝でいっぱいです。

 元気になった娘の寝顔を見ながら、原稿の最後の仕上げに至ったこと、そしてなにより娘の苦難を通して私に「神を想う時」が与えられましたことは、まさに主の大きな恵みでした。

 最後に、写真を撮って下さった渡辺幸栄氏、カットを描いて下さった伊藤嘉一氏、また校正の労をとって下さった新井江美子氏、伊藤弘子氏、スタイン光子氏、牧昭子氏、森礼子氏の陰の労に主が何倍にも報いて下さることを願っています。

 また、執筆の為に祈りサポートして下さった鈴木栄一師御夫妻、古山隆師御夫妻、またウエスト・ロサンゼルス・ホーリネス教会の皆様に心から感謝いたします。

 そして、この本の出版のために立ち上って下さった多田富一氏、具体的な編集や様々な実務に携わって下さった牧良夫氏、新井雅之氏に感謝に絶えません。さらに出版に当たって献身的に労されたNCM2出版の方々に深くお礼を申し上げます。

    ロサンゼルス、パサデナにて 1997年 8月
西岡 義行