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Q20、結婚したら幸せになると思っていました。子供が生まれたら張りのある毎日がおくれると思っていました。でも現実はむしろ反対で、子供は言うことを聞かず、悪いほうへ向かって進んでいるようです。私は子育ての自信もエネルギーも失ってしました。(30代、主婦)


A20

悪い子供に育てようとする親はいませんし、悪いことを教える親もいないでしょう。しかし、子供が悪いことを何処からともなく入手し覚え実行するその手際の良さは、目を見張るものがあります。




 もしそれが全て良いことであれば、子育てがどんなに楽になるかとすら思えるほどですが、現実は逆のようです。






◆今家族が危ない




 現代の特に大都市に住む子供は、近所の友達と自由にしかも時間も忘れて泥まみれ(花まみれ)になって遊ぶ、ということが出来なくなっており、そのかわりテレビやコンピューター・ゲームがその友達となっているのが現実です。




 親の目の届かないところで、知らず知らずのうちに物の見方、判断の基準、価値観などが歪められてしまうという現実に直面しているのです。




 ところで、お袋の味の「お」がとれて、袋の味(インスタント)になり、その「お」がしつけについて、「おしつけ」となったと聞いたことがありますが、思い当たるふしはありませんか?




 今、家族は時代の流れの中で一つの曲がり角に立っています。学生時代までは、男女平等を味わってきた新しい世代において、特に女性にとっては、結婚することも、子供が生まれ親となることも、それ自体がある種の深刻なカルチャーショックであると言っても過言ではないでしょう。




 その中で、取り残されているような焦り、思うように行かない苛立ちと欲求不満、さらには、なにかに当たらないではいられない怒り。知らないうちに子供が犠牲になることも少なくありません。




 母親の過干渉に加え父親不在。やがて親の権威は失落し、何を言ってもこどもは上の空。こどもの心が将来を真剣に考える親にではなく、視聴率や儲けを優先せざるを得ない社会機構の何ものかによって奪われていったとしたら、何という悲劇でしょうか。




 この地上で、最も重たく価値のある掛け替えのない一人の人を育てるという事は家族全体に与えられた尊い責任であり、喜びでもあるはずです。




 ところが核家族化が進み、祖父母や父親の果たすべく全責任を母親が一手に担わざるをえない状況は、ほとんど選択の余地すらないほどです。そんな中では、母親が疲れ果て、喜びを失っていることの方が自然とすら思われます。




 疲れている自分を責める必要はありません。しかし、今のあなたは魂の底から休むことが必要です。






◆育児から育自へ、教育から共育へ




 私達が注意しなくてはならないことは、子供は親の所有物ではなく、神から預けられたということです。親が「自分の子なのだから、自分が思うように育てる」と言うのは、その子の人格を無視するばかりではなく、その子に生をお与えになった神をも無視することです。




 この私がその子の親とし選ばれ、その子をある短い期間、しかもその子の人生で最も大切な時期に預けられたのです。




 神がある特別な思いとご計画をお持ちになっておられることの前に、私達は謙虚になる必要があります。この大きな責任と働きに真剣な祈りなしにあたることは思い上がりでなくて何でしょう。




 実は育児を通して親自身もまた育てられるのです(育自)。大切なのは教育である以上に「共育」、すなわち神の前に共に育てられるということです。本当の意味で全て命あるものを育てて下さるのは父なる神だからです(第一コリント3:7)。


Q21、最近、近所の子供が 躾や言葉使いの点で悪影響をうちの子に与えています。うちの子は、その子を友達と思っているだけに、余計心配です。どこまで、子供の遊び相手をコントロールしてよいのでしょうか。(30代主婦)


A21


子供の将来を考えると、どんな影響の元で育っていくかは、重大な問題です。だからといって、親の思いだけで、子供の友達関係をコントロールしてしまうことも、かえって子供を傷つけてしまうことになりかねません。






◆この問題さえなければ・・・




「この何々ちゃんが、近くに引っ越して来なければ」「この問題さえなければ、今ごろ、もっといい子だったのに」と思うのは、確かに子を思う親心といえるでしょう。




 しかし、このような見方は過去にとらわれています。前ではなく後ろを向いて歩くと、つまずきやすく、むしろ怪我の元です。




 後ろを見るのは、今までの道筋を確かめ、今の現実を正しく理解し、将来への方向をしっかり見極めるためです。後ろ向きになって過去を呪うのではなく、前向きに後ろを見、未来に向かって次の一歩を確かめるということでしょう。




 大切なのは問題があるかないかではなく、どの様にして問題と取り組むかなのです。問題がどこにあるのかの正しい理解と共に大切なことは、取り組みの姿勢です。自分に問題があったなら、それを謙虚に認め正そうとする心の準備です。






◆何が本当の問題?




 実際、何が本当の問題かは、意外に見い出しづらいものです。




 あなたのお子さんの場合、必ずしも良い友だち環境ではないようですね。良い子に育つには、やはり良い環境こそ最も大切だ、ともいえましょう。反対に子供自身がしっかり躾られてさえいれば、環境がどうあれ、動じないのではとも思えます。




 あえて極端に言いましたが、大抵は環境の問題か本人の問題かと、この二つの間で揺れているのが現状でしょう。なぜなら、人間は環境に大きく左右されることも現実ですし、それを乗り越えるだけのものを、自分の内に持つことも不可能ではないからです。




 本人があまり悪影響を受けず、しっかりと躾られることは望ましいことです。さらに他者に良い影響を与えることが出来れば、それに越したことはないでしょう。




 しかし、実際はそんなにうまく行くものではなく、かえって悪い方に染まりやすく、その速度は想像以上に速いようです。ほっておけば悪いほうに行ってしまう。それが罪ある人間の悲しい現実なのです。






◆親がしてあげられること




 この問題が相当顕著な場合には、親の力で環境を整えることは、大切な親としての責任です。しかし、どんな環境の中にあっても流されず、何が神さまに喜ばれ、何が神さまを悲しませるのか判断できるように育てていくことは、さらに重大な使命です。




 また、近所のお友だちのことも、良く理解することが出来たら、何が問題なのか見えてくるかもしれません。問題と取り組む中で、心しなくてはならないことは、親子でこのことについて、話し合う時を持つことでしょう。




 良心の声と両親の声が一つにならないから、様々な悲劇が生まれるのだ、と聞いたことがあります。確かに親の責任を考えると、どれ一つとして、簡単なものはありません。以下にあげる有名な祈りは、示唆的です。




神よ、変えることのできるものについては、


それを変えるだけの勇気をわれわれに与えたまえ。


変えることのできないものについては、


それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。


そして、変えることのできるものと、


変えることのできないものとを、


識別する知恵を与えたまえ。(ニーバー)




 この親の責任を考えるとき、私自信も、主の前にへり下って、同じように祈らざるをえません。その意味で子育ては、教育ではなく共育なのでしょう。