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Q14、私はある人のことを赦すことが出来ません。聖書に七を七十倍するまで赦しなさいとありますが、私には考えられません。忘れようとすればする程逆に怒りがこみあげてきます。いったいどうしたらこの問題から解放されるでしょうか。(30代 主婦)


A14

◆7の70倍




 罪ある世界においては、赦すことなしに人を本当の意味で愛することは不可能です。しかし、この赦すことがどんなに困難なことかは説明不要でしょう。




 この困難にさらに輪をかけるようにして恐ろしいことは、赦せないという現実があなたの生活を脅かし、性格を歪め、更にはあなたと、その周りにおられる方々の人生までも破滅に追いやるということです。




 聖書に7を70倍するまで赦しなさい(マタイ18:21〜35)とあることをあなたはご存じのうえで、それが不可能であると思っておられるようですが、そのこと自体は特別なことではないでしょう。




 しかし、私たちに赦すことが困難であるからこそ、そのあとの箇所が大切なのです。キリストはひとつの喩えを用いて教えておられます。それは、次ようなものです。




 ある王のひとりの僕がなんと1万タラント(20万年分の給料)も王に借金がありましたが、その全てを王に赦していただいたのです。しかし、その僕は100デナリ(100日分の給料)を貸している人が返さないので、その人を投獄しました。それを見て王はその僕をつれ戻し、負債全てを返すまで獄吏に引き渡した、というのです。






◆赦す前にすべきこと




 今あなたにとって必要なことは少なくとも3つあります。




 まず1つは、自分自身の神に対する罪の大きさを知り、認めることです。




 この喩えのなかに、示されているように、私たちが他者を赦すことが出来ないのは、人を赦そうとするまえに、まずどれだけ自分が赦されたのかを知らずにいるからなのです。法外な額に相当する罪が赦された、という深い認罪とキリストの十字架による赦しこそが他者の赦しの原点です。




 第2のことは、自分の罪ではなく、相手の罪に関してです。




 そのことを思い出すたびに怒りがこみあげて来るなかで、その相手を受け入れるとか、赦すということは限りなく不可能に近いでしょう。「相手の犯した罪は、正当に裁かれなければ気が済まない」とたいてい思ってしまうでしょう。しかし、いったい誰がその罪をさばくのでしょうか。




 聖書には、このようにあります。「愛するものたちよ、自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、『主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する』と書いてあるからである」(ローマ12:19)。




 もし、その方が本当に悪いのであれば、神ご自身が裁かれるのであって、あなたが裁くのではないのです。




 最後に、生まれながらの人間の努力によっては赦すことは出来ないということを銘記することです。




 努力による赦しは、むしろ危険ですらあります。もし相手が同じ様なことを繰り返したら、「あの時赦したのに、又やった。もう赦せない」と相手を、更に自分をも追い込むことになりかねません。




 人を赦す愛は人間の内からわき出るものではなく、神ご自身から与えられるものです。愛のない自分を認め、さらに、本当は自分こそ神の前に多くを赦された者であることを知らされ、謙虚に神の前に出るときはじめてあなたは解放されるのです。




 あなたに三浦綾子著『ひつじが丘』をお薦めいたします。


Q15、先日ある親しい友人が、「Aさんがあなたのことを悪く言っていたよ」と教えてくれました。Aさんのことは近い間柄だと思っていただけにショックで、これからどのように顔を合わせてよいか分かりません。(30代、主婦)


A15


 比較的信頼していた人が自分のことを否定的に思っているだけではなく、それを自分の知らないところで別の人に話したこと。しかもそれを後から別の方から知らされることは、本当につらいものです。






◆人間の弱さと醜さ




 私たちは人を理解しようとすることよりも、「あの人はああだからこうなるのよ」と、すぐに判断したり分析してしまいます。しかもそれを話のネタにしてしまうのです。




 「人のよしあしをいう者の言葉はおいしい食物のようで、腹の奥にしみこむ」(箴言18:8)とあるように、気を付けていても、こういったわなに陥りやすいものです。しかし、こういったうわさ話は、人間関係を壊すものです。聖書も「人のことを言いふらす者は友を離れさせる」(箴言17:9)と警告しています。




 動機がそれほど悪くはないとしても、私たちは人の悪いところがどうしても目に留まり、自分のことは棚にあげてそれを指摘したり矯正したくなります。




 しかし、自分をかばいたいからか、本人に直接言うことがなかなか出来ません。それを押さえておくことが出来なくなると、結局他者に言ってしまうのです。






◆解決しようとする前に、、、




 この問題の只中にいる時は、冷静な判断や思い遣りのある態度がとれず、気付いた時には癒しがたい傷に苦しむことも少なくありません。




 なんとしばしばこのような問題が憎しみを生み、お互いを傷つけ、人間関係を破壊し、人を孤立に追いやることでしょう。




 今あなたは、Aさんを責めたいと思うかもしれませんし、その人への苦々しい思いから早く解放されたいと思うかもしれません。




 しかしその前に、人間の弱さの故に起きるこのような問題があなたの上に降りかかることをお許しになったのは、神ご自身であることをまず認めることです。そして、今神があなたをどのように導いてくださるかに心を傾けることです。






◆判断を遅らせる




 「人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである」(ヤコブ1:19)。まずこれを実行しましょう。すなわち聞くこと以外は、遅くすることです。




 怒りを遅らせる一つの秘訣は、判断を遅らせることです。すなわち何が本当に起きたのかすぐには分からない現実を認め、あなたの親しい友人の話をよく聞くことです。




 しかも友人といえども神様ではないので、聞き違いや勘違いも無いとはいえません。相手に悪意がないときもありますし、相手の誤解による見当違いの批判もあるでしょう。誤解が解ければ何でもないことなのに、判断を早まったがゆえに取り返しが付かなくなることは、まさに悪魔の思う壷です。




 しかし相手の中に悪意があることが明らかな場合、怒りを遅らせることは簡単なことではありません。「怒ってはいけない」と言って、あまり無理をしない方がよいでしょう。




 「怒っても罪を犯してはならない」(詩篇3:4)というみ言葉を思い出して下さい。ただ、復讐はしてはいけません。それは罪です。




 「愛する者たちよ、自分で復讐をしないで、むしろ神の怒りに任せなさい」(ローマ12:18)とパウロも勧めています。人間の限界を認めつつも、神の領域は犯してはならないのです。