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Q8、どの宗教も信じさえすれば、皆結局は同じ所に到達するのではないでしょうか。それなのに、キリスト教は、他の宗教を否定し排他的なところがあります。どうも納得がいきません。(40代男性、自営業)


A8

◆宗教と山登り




 「分けのぼる麓の道もおおけれど、同じ高嶺の月を見るかな」といわれるように、宗教を山登りにたとえて、どれであっても行き着くところは同じと考える方が多いようです。




 最近は山より高い月にすら人間は到達でき、もはや宗教よりも最先端テクノロジーを信じる、という方もあるでしょう。




 さて、人間は神の像に造られ、永遠をおもう思いが授けられている、と聖書にあります。動物の中で人間だけが、「人は何の為に生きるのか」、「どうしたら生きる力がうまれてくるのか」、「真の幸福はどこにあるのか」、「人は死んだらどうなるのか」という存在の本質や、人生の真理に係わる問題にぶつかります。




 アウグスチヌスが言ったように、人間には神にしか埋めることの出来ない空洞があります。他の動物にはないこの魂の空洞は、何か永遠的なもの、神的なもの、真理と言えるものへの渇望につながるのです。




 宗教とは、この渇望への真摯な営みといえ、山登りにも喩えられるでしょう。






◆谷底のキリスト




 ところが、キリストは、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ14:6)と、はっきりと宣言されました。




 どんな宗教も(キリスト教という宗教も含めて)、善行や努力も、最先端科学も、人間の側から神に到達することは出来ません。この排他的とも言える厳粛な宣言の前に、私たちは跪くのみではないでしょうか。




 同時にこの宣言は、人間の側からの努力や営みを排斥するものではなく、むしろ、ここにあなたが本当に捜し求めていたものがあるのだ、という、明確な神からの答えなのです。




 即ち、神との接点は宗教を登りつめた所にではなく、罪に汚れた人生のどん底に降りてこられるキリストとの出会いにあるのです。


Q9、神の存在は何となく信じることは出来ますし、イエス・キリストが歴史上の偉大な人物の一人であることにも反対はしません。でも、なぜその方を神として礼拝するのですか。この点でどうもキリスト教に納得ゆきません。(20代男性、学生)


A9

世界中でその誕生日が祝われ、歴史上最も知名度が高く、これほど多くの人々や社会に多大な影響を与えてきた方はいないといわれる、このイエス・キリストが、いまだに「いったい誰なのか」と、問われていること自体、驚くべき事実です。




 しかし、それ以上に驚かなくてはならないことは、この問いが、あなたの人生、さらにはあなたの永遠をも左右する重大なものであるという、聖書のメッセージです。






◆「イエスは聖人、預言者、それとも革命家?」




 多くの方々はイエスを聖人であった考えます。その答えを必ずしも否定する必要はないでしょう。確かに聖人と言われるに値する存在だったからです。




 当時あらゆる点で社会から見捨てられ、孤立していった方々のために自らの立場を投げうって、救いの手を差し伸べられたのです。その意味では、私たちの生き方の模範をお示しになられたということが出来るでしょう。




 しかし、これがイエスがなされたことの全てではありませんでした。私たちの外側に模範として立たれるお方である以上に、私たちの内側に入ってくださり、魂の底からつくりかえて下さるお方です。それは、模範を示されても自分の力では、自分を変えることの出来ない人間をその内側から変えてくださるのです。




 イエスが過去における聖人である以上に、時代を越えて影響を与える価値観の革命家と考える方もおられます。イエスの喩えや教えは確かに常識を覆しつつ、本来の人間のあり方を示してくれるのです。




 それは、クリスチャンであろうとなかろうと、読む者に衝撃にも似た感動を与えてきたことからもうなずけます。しかし、それで全てなのでしょうか?






◆「イエスは預言者?」




 預言者は神の「言を預かる者」というのが、この言葉の意味です。ですから、未来を言い当てる「予言者」とは異なります。




 しかし神は、過去と現在に閉じ込められてはおらず、未来をもご存知であることを考えれば、預言者は予言者をも含むより大きな存在と言えます。ですから、「イエスは預言者だった」ということは出来るでしょう。実際イスラム教においては、イエスを一人の預言者として扱っています。




 あなたの質問は現代人のみならず、イエスの歩まれた当時の人々にとっても大きな問いでした。




 イエスと会った人々はイエスをマラキ書に示されているように「エリヤ」の再来と考えた方が多くありました。この時代の人々は、「エリヤ」が再来するのを待っており、多くの人はイエスをエリヤと見たのでした。現代の多くの人も、「イエスは預言者だった」といえば納得できるでしょう。






◆イエスのみが神をわらわした




 違った角度から考えてみましょう。あらゆる動物の中で、人間だけがこの大自然、大宇宙を越えた何らかの存在(神)を意識し求めてきました。時代を越え、民族や文化を越えて人間社会の在るところに宗教が存在することは、この事実を物語っていると言われています。




 ところが、どの宗教も唯一の神に至ることが出来ません。人間の側からの道は、罪の故に閉ざされてしまっていると聖書は伝えています。ですから、どんな偉人も、立派な宗教も、科学文明も、神に到達することは不可能です。




 しかし神の側から道が開かれたのです。その道は、人間ではなく神が決めることです。




 初め神はイスラエルを通して、ご自身を現わされようとなさいましたが、彼らが神の御旨に反したので、遂にその独り子を遣わされました。その方がイエス・キリストなのです。




 「神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである」(ヨハネ1:18)




 このみ言葉が示すように、イエスはひとり子なる神であり、この方だけが真の神を現わしたというのは、人類への一大ニュースです。






◆イエスご自身の答え




 この問を考えるにあたって最も大切な事は、牧師や神学者、また私たちがどう答えるかではなく、むしろイエス・キリストご自身がどう答えられたかです。




 キリストは、ご自身を、「神のひとり子」と語られました(ヨハネ3:16)。そして、子なる神として、この地上で父なる神をあらわすのだと言われました。「父なる神」とは、天地を創られた唯一の神であり、その神に至る道はご自身以外にはない、と宣言されたのです(ヨハネ14:6)。




 自分を神の子とすることは、「自分を神と等しいもの」(ヨハネ5:18)とすることであり、ユダヤ人にとっては神への最大の冒涜として、当然死刑につながるもでした。「子なる神」としての自己宣言は、十字架刑を意味するものであり、命を賭けたものだったのです。




 イエスが神であり、この方をとおしてのみ真の命が与えられるということは、神学的な説明や説得で伝えられるものでも、理解や納得などでつかみ取られるものでもありません。それは、信仰を通して明らかにされる奥義です。




 事実イエスは、神の子として神ご自身を現わすという重大事を、説明ではなく、最も不条理な十字架をとおしてお示しになりました。私たちの側は、最も単純な「信仰」という愚かさをもって以外に、この奥義を受けとる道はありません。まさに「信仰のみ」です。




 もしあなたがイエス・キリストご自身に注目し、真剣に求めるのなら、主ご自身の方からご自分をそして、その奥義を明らかにされるのです。そして、それによって、私たちの人生が新しく造り変えられるのです。




「この世は、自分の知恵によって神をみとめるに至らなかった。


それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、


信じる者を救うこととされたのである」(第一コリント1:21)