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12月






 かかりつけの病院に行き、インフルエンザの予防接種をしました。保育園は小さな子どもがいるところです。予防接種は大切です。毎年しています。




接種が終わり料金を払う時1500円ですと、言われました。今までは3000円でしたのであれ値段が下がったのだと嬉しい気持ちで帰り、妻にすぐ報告しました。あなたは65歳過ぎたので老人料金になったのよ。と言われ現実を目の前にしました。言わないで喜んでいればよかったと思いました。




今年満65歳になったのは事実ですがこのように現実を突きつけられると老人であることを受け入れなければならないと実感しました。60歳になって定年になった人が我が家の近くにいます。ここ数年で何人もの方が定年し、今は犬を散歩させるのが日課になっているようです。




でもよく考えると私の方が高齢でした。気持ちは若いのです。50代と同じことを考えます。




先日、臼と杵を使って餅つきをしました。若いお父さんのやり方を見てつい手が出てしまい杵を高くあげ気持ちよくペッタン、ペッタンとつきました。しばらくすると腰のあたりに違和感が現れました。




10年前は勢いよくついても気持ち良さがあるだけで違和感はなかったのに。やはり60歳を超えると体は正直に反応します。帰って来て妻から注意されました。




今年も残り一週間余りとなりました。今年も12月は沢山のクリスマス関係の集会をしています。公民館でのクリスマス会。園でのクリスマス会。女性コーラス。そして先週の音楽クリスマス会。今日はクリスマス礼拝。24日はクリスマスイブ礼拝等。




沢山の人がクリスマスのメッセージを聞きました。先週は会堂いっぱいの礼拝でした。20年前、3人で始めた働きがここまで祝されていることを嬉しく思います。




気持ちは20年前と同じです。音楽礼拝前は一人で3日間教会周辺にチラシ配布をしました。枚数は多く配布できませんでしたが快い疲れを感じました。




潮来は小さな田舎町ですが主イエスは言われます。「この町に私の民が大勢いる」と。そして主イエスは全ての人が救われるために神の姿を捨てて人間の姿を取られてこの世に来られました。




今年は洗礼を受ける人がありませんでしたが来年は是非、導いていただきたいです。










 一年過ぎるのが早いもので今年もあと半月で終わり、そして新年を迎えます。年の最後を迎えるときクリスマスがあります。日本では12月前からクリスマスの言葉を聞きます。既に日本の伝統行事の感がします。




私の生まれ育った家はキリスト教と関係のない家でした。両親はここ潮来で農地を耕す人でした。しかし小さな頃からクリスマスの言葉を耳にすることがありクリスマスの意味を知らないながらも何か暖かい感じがしました。




いまはテレビでも、スーパーでも雑誌でも多くの場でクリスマスが当たり前のように取り上げられています。日本では明治の始めに西洋文化や技術、教育などが取り入れられたときにき、それまで禁止されていたキリスト教が認められてクリスマスも日本人の中に広まってきました。




しかしクリスマスは広まりましたがクリスマスの持っている意味には関心が向きませんでした。




クリスマスは、いわずと知れたキリスト教の三最大行事の一つです。その中でも一番大きく取り扱われています。全世界の救い主イエス・キリストの誕生を記念する時です。




イエス・キリストは今から約二千年前にイスラエルの国で生まれました。両親は若い人でイエス・キリストは両親にとって初めての子どもとして生まれました。生まれた場所は旅の途中でした。イスラエルのベツレヘムという町でした。




私はそこに行ったことがあります。そこには世界中の教会が協力して教会堂を建てています。二千年前に生まれた人のことを今でも世界中の人々に祝われている人はいません。




世界のベストセラーといわれている聖書にはイエス・キリストのことが詳しく書かれています。キリストは神の姿を捨てて人間となり私たちの世界に来てくださったと書いてあります。




「イエス・キリストは私たちの弱さに同情できない方でなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、私たちと同様に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、恵みの場に近づこうではありませんか。」と呼びかけています。




人間は弱い存在です。神様は弱いままの私達を招いています。そして共に歩もうと話しておられます。クリスマスは神様の存在が私たちに近くなった日です。










 阿見町在住のI兄姉から自分の持っている土地に教会を建ててもらえないかと申し出がありました。先日、和子先生と場所の視察に行ってきました。




場所的には県道に接して道路からすぐに入れる立地です。道路から入るとそこには広い土地(約千坪)があり、大きな杉の木やヒノキがそびえていてなんだか軽井沢に行ったような気持ちになりました。




道路沿いなのでここに教会が建ったら目立ちすぐに入れます。また自然を利用した教会は色々な伝道にも役立つ思いがしました。とにかく広いので教会以外にも利用価値は広がります。沢山の木が立っていて自然が豊かに残っています。




すぐ近くには阿見アウトレットがあり高速道路の入り口も近くです。阿見町は人口約47,000人。そして周囲には大きな工場が作られてこれから人口は増える予定です。牛久市にも接して対象となる伝道圏には多くの人が住んでいます。




現地に行って私が伝道に向いていると思ったのは道路に接していることと、十分な広さ、そして自然の中に建てられた教会は人々の癒しの場になると思いました。




神様は水郷めぐみ教会に期待しさらなる伝道の範囲を広げられているのかなと感じました。第二水郷めぐみ教会です。




しかし教会を開拓して伝道を始める事は簡単ではありません。建物が必要です。最初は簡単な建造物でもいいかなと思いますが費用も必要です。そして伝道する人も必要です。




前進には大きな乗り越えなければならない壁があります。しかしエルサレム神殿を再開するときゼルバベルは、自分たちの目の前にある壁に悩み祈っていた時、神様から御言葉が来ました。「これは権勢に寄らず能力によらず私の霊によって。」と(ゼカリア書4章)




I兄姉の申し出に神様の導きがあったと思います。もしここに水郷めぐみ教会の第二の教会が出来たらハレルヤです。私たちが教会の名前に潮来をつけないで水郷をつけたのは潮来だけにとどまらず広く水郷地区に伝道の輪が広がるようにと祈った結果、水郷めぐみ教会と名付けました。




あれから20年、今その時が来ているかなと思います。そのためには真剣な祈りが必要です。神様の働きは祈りから始まります。




まずは皆さんで現地に行ってみましょう。ここから約1時間です。










 今日は12月2日です。この歳になると一年の流れが今までになく早く感じます。




若い時、会社勤めをしていた時、「早く一日が終わらないかな~」と一日の時間の長さを感じていましたが、今はアッと言う間に一日が過ぎ一週間が過ぎ一年が流れて行きます。




30代のころ教会には高校生が満ちていました。田舎に教会があることが物珍しかったのもあると思いますがよく高校生を教会に導いていたキリスト者がいました。牧師夫婦も若く高校生会を企画し校門前で集会案内を配っていました。




今は興味を示す高校生はすっかり無くなりました。彼らの興味はスマートホンやアイパットです。自分で本を開いて探さなくても一瞬のうちに情報が手に入ります。そして世界中の人とネットでつながり部屋にいても外部の人と自由にやり取りが出来る時代になってきました。




いわゆるネット社会はこれからどんどん進んでいくことでしょう。それを使えない私などは時代に取り残された人類かもしれません。上手く利用出来れば教会の案内チラシもきれいに出来ます。




毎回特集チラシを丈夫兄が作っています。私は鉄筆でガリ版チラシしかできないのでとても助かっています。




しかし人間の罪は時代と共に変化しているわけではありません。ネットから離れた時、人は自分と向き合うようになります。




人間のうちに存在している思いは昔も今も変わりません。そこには欲望があります。強い欲望によって心も体も支配されています。罪を犯す人間は社会の利便性が発達しても変わりません。




伝道の方法は時代に合ったやり方があると思います。しかし私たちが心から伝えるお方は永遠に変わらないイエス・キリストです。




多くの教会は12月、何とかしてイエス様の恵みを知って欲しいとクリスマスをもちいます。イエス様の誕生は私たちの罪を取り、それをご自分の肩に負われてご自分が罪人としての刑を私たちの代わりに受けるため神の立場(姿)を捨ててこの世に来てくださったことです。そして天国への道を開いてくださいました。




今、この時代に天国への道が開かれています。黄金の道です。




罪はネット社会で解決できるものではありませんが伝道に用いることは出来ます。あらゆる方法を通して教会に導かれることを祈ります。



11月






 11月22日、99歳の誕生日を迎えた福田シズ子姉を施設に訪ねました。ちょうど車椅子に座ってお昼ごはんを食べていた時でした。ご飯は加藤姉が一口ずつゆっくりと口に運んで食べていました。




食事が終わり自分の部屋に戻ってから「ハッピバースデー」を歌いました。喜んで聞いてくれ、それからしばしの歓談の時を持ちました。




今日で99年生きてきたことになり、明日から100歳の世界に進む事など、そして小学校の時、男の子よりも上手に竹の棒を登ったこと、木登りが得意であったことなどを話すと嬉しそうに顔を緩めてうなずいていました。




若くして故郷福井の山中から神戸に行き、看護婦の資格を取り、アメリカの宣教団が開いた中国の病院に勤務したこと。そして日本の敗戦によって命からがらで日本に戻って来たことなどを話すと思い出すような気持ちでジーと聞き入っていました。




これらのことは姉妹が潮来にいたときよく話してくれたことです。戦後、鹿嶋地方にあった陸軍の飛行場跡地が払い下げになり、そこに移住しお姉さん、加藤姉3人で住むようになりました。その後のことは福田姉から余り聞くこともなく断片的に聞いているだけです。




福井で生まれ、神戸に出て看護婦資格を取得し、中国大陸に渡り医療伝道に励み、敗戦後神戸に戻ってそして鹿嶋地方に移住してきた人生。今は100年の歴史を踏みしめています。




福田姉は老衰で元気な話は出来なくなっています。記憶も段々と薄れています。99年間の人生には多くのことを体験しました。中国から引き上げてくる時は命が危険になり髪の毛を切り、顔を黒く塗って帰国しました。敗戦後の日本では食べるものを確保するにも並大抵の苦労をしてきました。




しかし今、車椅子に座っている姉妹を見ていると幼子のような穏やかな顔をして私たちの顔を静かに見ています。そこには「今あるは神の恵みなり」(コリントⅠ15:10)との感謝が物語っています。




一生独身できました。その間、両親を亡くした幼い子どもを引き取り自分の子どもとして育てました。私はまだ65年と5ヶ月しか生きていません。姉妹は今静かに100歳の歩みをしています。




私たちが賛美歌を歌った時、口を動かして歌いました。感謝、主に栄光です。










 先週、民生員の働きで、一人暮らしのご婦人をお尋ねしました。以前骨折し入院生活を終え自宅に戻りました。




「こんにちは、民生員の平山です。」と挨拶の声をかけお尋ねすると、「時間があるでしょうから、お上がりになりませんか。」との返事。




一人暮らしのご婦人の家に男性の私が上がり込んでいいのかなと一瞬戸惑いましたが熱心な誘いに負け上がらせていただきました。私を見て嬉しそうにお茶を入れお菓子を出し、それに椅子まで出してくださりしばしの時を持ちました。




80年間の人生の経験を話してくださいました。昔のことはとてもよく覚えています。聞きながら勉強になりました。最後に「これから私の人生はどうなるんでしょう。」と語られました。私が牧師であることを知っての語りかけでした。




牧師として答えられるのは祈りしかありません。しかし、ご婦人は祈りをしたことがありません。その時、私の心に浮かんだのは主の祈りでした。




祈りは難しく受け止められています。これは教会にも責任があると思います。主の祈りは書かれているものです。ですから読むことが出来ます。誰でもできる祈りです。祈りを読むことに抵抗を感じる方もおられるようですが、記載されている祈りは聖書に沢山あります。




その中で主イエスが祈るときはこのように祈りなさいと教えられた主の祈りはそのまま読んで自分の祈りにすることが出来る祈りです。




苦しい時、祈りの言葉が出ない時があります。神様は上手な言葉を期待していません。「悩みの時に我を呼べ」(文語訳)と言っています。「神様、助けてください。」でいいのです。部屋の中に入り誰にも知られないところで呼ぶのです。




祈りは人に見せたり聞かせたりするものではありません。人の事を気にすることはありません。神様が聞いていてくださるのです。




ご婦人と一緒に主の祈りを読んで祈りとしました。細々でしたが祈り終わった後すっきりした感じの顔をされました。帰りに「手が痛いので」と言うので私の手を握って力を入れてみてくださいと言うと普段の力で握り返してきました。あれ、どこが痛いのかなと思いましたが嬉しそうに握り返してくれたので良しとしました。




そして、これから毎日主の祈りをする約束をして帰りました。










 先週は、さいたま市で結婚式の司式をしました。東京からさいたま市まで鉄道沿線には家が立ち並んでいました。このような風景を見ると、潮来にいる私はこんな所で伝道してみたいなという気持ちが湧き上がってきます。




土曜日は川口市泊まりでした。ビジネスホテルでのユニットバスはお湯が出なく使用できない部屋でした。小さな備え付けのベットとソファを倒して和子先生と泊まりました。素泊まりで食事は無し。




次の日、電車に乗りおおみや市へ。ここは大きな都会でした。ここで結婚式が行われました。当日は大安で4組の式がありました。本当はホテル専属の牧師(?)さんが司式をするのですが結婚者の強い願いで式にメッセージを語って欲しいというので私が立ちました。




ホテルにはホテルの式順序があり、リハーサルはそれに応じてしましたが本番は私のやり易いように行いました。ですからホテル側では少しあわてたようです。でも結果的にはそれがよかったみたいでメッセージもできました。




メッセージは結婚の意義などを語りますが式場に十字架が掲げられていたので十字架の赦しの話もできました。式が終わり披露宴にも招かれたので参加しました。




宴たけなわになった頃、新郎側の実家の組内の人が私のテーブルに来て「今日の結婚式は良かった。ホテルは外人が立って、わぞとらしい日本語で言っているが今日の話はよかった。ところでアーメンの意味を教えてくれないか?」と聞きに来た人がいました。




私は説明をしながら、メッセージに反応をした人がいただけでもやって良かったと思いました。




日本人の7割がキリスト教式で結婚式を挙げると言います。ミッションスクールが有名大学の内に学校全体の2割もあります。そこでは必ず礼拝があり学生は出席が義務つけられています。ですから多くの人が聖書に、キリスト教に接しています。




潮来でも幼児教育をしているキリスト教の幼稚園が2園。




毎年子どもたちはお言葉を、主の祈りを覚えます。私は信じています。いつか必ず多くの収穫の時が来ると。




伝道の下地は出来ています。そこに聖霊の雨がそそがれたら、まかれている種が芽を出します。そして成長し実を結びます。隣の国で聖霊が注がれています。次は日本です。










 みなさん、おはようございます。私たち夫婦は今朝、さいたま市のホテルで結婚式をしています。




なぜホテルでの結婚式をしているのか。新婦のお母さんは独身時代、和子先生がまだ聖書学院の修養生時代に導かれて信仰を持った方です。それ以来40年の交際が続いています。結婚し3人のお子さんが与えられた時、私たちが以前いた教会に家族で来てお祈りをしてくださいと求められました。




そして水郷めぐみ教会が開拓を始まったときから支えてくださり会堂建築に際しても、また時があれば潮来にきて礼拝を共にしていましたからご存知の人もいると思います。




ホテルには専属の司式者がいますが、ただ順を追って進めるだけでメッセージがありません。新婦もキリスト者です。自分の結婚式にはメッセージをと願い、和子先生を通して私に要請が来ました。




結婚式とお葬式は未信者の人が多く集います。神学者加藤常昭師は一番の伝道会である、私は積極的に行うと語っています。その考えは私も同じです。




ホテルから送られてきた式順にはメッセージの時間がありません。ホテルでは決められた時間内であれば牧師先生が思うようにしてもいいですと言いました。ホテルでの結婚式は久しくしていません。どうぞ神様の祝福が注がれるようお祈りください。




水郷めぐみ教会は丈夫兄が御言葉を取り次いでくれます。兄は大学を卒業後、東京聖書学院で牧師の学びをし岡崎市で開拓伝道に携わりました。私たちの教会には今、志賀初江姉が聖書学院で学びをしています。志賀姉もイエス様の御奉仕に役立ちたいと神様の招きの言葉に従い学びと訓練を続けています。




このように私たちの教会は規模としては小さくまだ若い教会ですが神様の御用に前向きの人が与えられていることは感謝なことです。ですから牧師も安心して外部の御用に応じることができます。




日本の結婚式の7割がキリスト教式で行っています。しかしそのほとんどは御言葉のメッセージがありません。私に与えられているメッセージの時間は10分くらいです。無理に入れてもらいました。




充分ではありませんが限られた中でも御言葉が語られるようお祈りください。



10月







 先週の日曜日は東京柴又教会でのご用でした。




目的は「伝道会」で主題は「命をつなぐ」でした。5年前にも招きを受け今回が2回目です。2回も招いてくださる教会はめったにありません。だいたい1回で次がないのがほとんどです。




高速道路を走り約1時間半で柴又に到着。10時15分からの礼拝は60名前後の参加者がありました。礼拝堂の広さはめぐみ教会と同じくらい、そこに60名の方々が入ると満席になります。若い人よりも壮年から上くらいの方々が多くありました。




皆さん、5年前の私を覚えていてくださり説教を喜んで顔を上げて聴いてくださいました。ですから話もしやすかったです。




午前の礼拝は伝道礼拝。十字架による救いを語らせていただきました。午後は命をつなぐテーマで幼子をイエス様が受け入れたように、一人の人間として大人と同じように受け入れることの大切さを話しました。




都会の教会も高齢化が進んでいます。これは日本に共通した現象です。牧師も若い献身者が少なく高齢者が多く来年度も退職して教会を辞する先生が多くあり無牧状態の教会が増えていきます。そのような教会を統廃合してまとめる話が本部で進んでいます。




今の緊急課題は若い次の教会を担う人の育成です。そのためには幼子から教会が真摯になって受け止めることです。




子供はうるさいから別な部屋に移動して欲しい、大人を第一にして欲しいという思いがあるなら考えを変える必要があります。また、親の気持ちを汲んでいくことは大事なことです。




私達大人は教会から何かしてもらうとか教会に来てあげているという思いはないと思いますが、幼子に対する態度をもう少し積極的にする必要があります。




主イエスは受けるだけでなく与えることを望んでいます。自分の子供が教会に導かれるとは大事なことです。それが命をつなぐ、そして信仰の継承になります。そのことを支えるのが大人の役割です。




2回の話を終え往復3時間のドライブをして家に帰ったらどっと疲れが出て風呂にも入らずに寝込んでしまいました。よほど緊張していたのでしょう。心配した腰の痛みはほとんど癒されました。




田舎牧師が都会で奉仕できたのは教会員のお祈りを主が受け止めてくださったからです。感謝します。






10月13日(土)これ以上のよい天気はないだろうとの中で、こひつじ園の運動会が行われました。35年間でも一番よい天気でした。




青空に薄い白い雲が浮かんでいるだけで風もなく暑くも寒くもない最高の一日でした。お客さんは600名前後見えたでしょう。




新幹線に乗って孫の運動会を楽しみにしてこられたおじいちゃんおばあちゃん。何日も前から孫のところに泊まり楽しみにしていたおばあちゃん。




プログラムは保護者の出番と祖父母の出番があります。孫たちに負けまいとして真剣そのものの姿で一生懸命に玉入れをしてくれました。




主役は園児ですがこひつじ園の運動会は「家族運動会」です。その為に会場は園から離れて近くの津知小学校の広い校庭を借りて行っています。




市内のほとんどの園は園内で行っています。ですからお客さんの席も限られてしまいます。他に場所を移すのは準備が大変ですが、それに勝る大きな楽しみがあります。




午前のプログラムも順調に進み、綱引きになりました。園児、保護者、卒園生と3種類の綱引きをしました。園児、卒園生は難なく終わりました。




保護者は40対40の80名が向き合って引きあいます。私は毎年スタート係りで綱の中心に足をかけて始めの合図をします。




今年は足を綱の真ん中に置いたのです。始めの合図で足をかけていた綱が一瞬のうちにピーンと引っ張られ同時にわたしの体が空に舞い腰から落ち頭を打って一瞬気を失いました。周囲の声援の声に目覚め何が起こったのか理解できずに起き上がり綱引きを続けました。




ところが昼ごはんを食べ始めた頃から下半身に激痛が走り、座る、立つときに針で刺されたような痛みに襲われました。




土曜日、病院は受付が終わっていました。一晩休めば痛みも治まると思って静かに体を休めましたが寝返りもできず、翌朝日曜日早く家の隣で開いているカイロに行きもんだりテープを張ったりしてもらいました。




痛みは少なくなって礼拝も参加できました。幸いにメッセージは厚木教会の石塚先生が来てくださり、「エホバエレ」(主に備えあり)を感じました。




先週は2回カイロに行き痛みも段々少なくなって来ました。金曜日は片道1時間の運転で訪問もできました。今日は柴又教会で2回の御用です。お祈りください。






「種まき伝道」という言葉があります。これは伝道の働きを農作業に譬えた言葉です。




昔は「移植」という言葉も使われていました。しかし西洋のキリスト教を東洋の日本という土壌に移植しても苗が育たないとカトリック作家遠藤周作氏は書いています。今は移植ということよりも種まき伝道という言葉のほうが多く使われています。




確かに西洋で育ったものを日本の土壌に移植するよりも種から育てたほうが成績は良いと思われます。




イエス様も種まきのたとえを語っています。種をまくと芽を出し茎が、次に穂がそして穂は豊かな実ができる。実が熟すると早速鎌を入れ収穫する。農夫が種をまくのには目的があります。収穫を得ることです。それは伝道も同じです。




潮来は既に稲の収穫が終わりました。今年は天候もよく豊作です。私たちも収穫を期待して伝道をします。しかし収穫は難しいです。まかれた土地が良くありません。。




収穫の前提はよく耕された土地にまかれた種です。日本の国は茨の土地と言われます。まかれた種が塞がれてしまって育たないと。本当に伝道の難しさを実感している我々です。




封建的な地方ではキリスト教(福音)受け入れる土壌が堅いです。しかし我々はどのくらい種まきをしているでしょうか。種まきを他の人に任せてしまっていないでしょうか。




復活して天に戻られる前にイエス様は11人の弟子たちに伝道の働きを委ねられました。そして「私は世の終わりまで、いつもあなた方とともにいる。」と約束してくれました。




伝道と神様が私たちと一緒におられることは一体です。何よりも伝道する人とイエス様は一緒にいるのです。使徒言行録に書いてある通りです。




イエス様がいつも私たちと共におられることほど素晴らしいことはありません。伝道の目的はイエス様の弟子作りです。これが収穫です。




良い土地とは人間関係です。身近な人と良い関係を作ることは大事なことです。別な言葉で「証し」と言います。そこに種をまくと収穫が与えられるのです。




関係の薄い人に対しての伝道は難しいです。「伝道前の伝道」という言葉もあります。人間関係を築くことを示している言葉です。




趣味が同じ、職場の人間、など良い関係を持つことが伝道には大切です。






日本ではキリスト者を思うときに「完全無欠、潔癖な人」と考える傾向があります。そのためキリスト教は堅い、難しい、まじめ等のイメージがついて教会に近づく人が多くありません。



はたして教会人は完璧でなければならないのでしょうか。使徒言行録にマルコと言う人がいます。彼はバルナバの従兄弟です。最初パウロたちと一緒に伝道旅行に参加しましたが伝道の厳しさに恐れて途中から離れてしまいました。彼は伝道旅行から脱落した者とレッテルが貼られ、パウロ先生によって第二次伝道旅行から外されてしまいました。マルコはどんな気持ちになったか想像し同情します。キリスト教会内でも評判は落ちたと思います。




そのマルコがその後、数十年してからパウロの近くにいて投獄されているパウロの世話をするようになりました。そしてパウロ先生から「彼は私の働きに役立つ、あるいは私の務めをよく助けてくれる。」と紹介されるようになりました。(テモテへの手紙Ⅱ4:11)




若い時のマルコはパウロ先生の伝道の助けにならないと外されてしまいました。普通、自分は駄目な人間と見られたら、特に若い時にそのような経験をしたら一生その思いを引きずり自信を無くした人生を送ってしまうと思います。しかし彼は信仰からも離れず最後にはパウロ先生の信任を得て身近に仕えるようになっていきました。




一度くらい伝道から離れても恐れることはありません。神様はその人を教会に役立つ者として立ててくださいます。教会のためにイエス様のために役に立てるようになることが大事です。




マルコにはバルナバと言う従兄弟がいました。この人の事は詳しく使徒言行録に書かれています。マルコが信仰から離れずパウロ先生の役に立つ者となったのにはバルナバの支えが大きな力となったのです。




人を支えることは大事なことです。支えられることは大きな慰めです。一人の人が立ち直るのにバルナバの存在は大きなものでした。




私たちは日曜日に礼拝に来て家に帰る信仰生活でなく、お互いを自分の出来る範囲内で支え合う教会員でありたいと思います。それは外部に対して大きな証となります。その中心におられるのが私達を支えてくださるイエス様です。


9月






毎週金曜日夜9時から「金スマ」番組があります。月に2回ぐらいの間隔で「1人農業」が放送されています。




渡辺君と言うTBS職員が茨城県に住み、広い土地を借りて一人で農作業をしている姿をレポートしている内容です。内容は単純ですが人気があり5年も続いています。




先週の放送の中に自宅を新築していることが取り上げられていました。その家に牧師である両親が将来同居するために「祈りの部屋」が作られています。(両親は奄美大島で牧師をしています。)




いよいよ完成になってきました。部屋に十字架がつけられました。そして壁の両側にステンドグラスがはめられました。これで祈りの部屋は完成。彼はその晩そこに寝てステンドグラスの最初の明かりを体験しました。




朝、太陽の光りを受けてとてもきれいな明かりが部屋に差し込んで来るのを見て彼は両親に完成の手紙を書きます。両親からは「お前は親孝行な息子だ。」と喜びの返事が来ます。




いよいよ私たちの礼拝堂にもステンドグラスが入ります。設計の中でステンドグラスをつけるようにしましたが、いざその時になると当時の私たちにはそこまでの余裕がありませんでした。その為、応急的にホームセンターから数百円のフイルムを買い、貼って今日まで来ました。




あれから10年。フイルムも色落ちしてきました。会堂の借り入れも返済が終わりました。私は返済のため捧げてきた献金をステンドグラスのため捧げることを示され今年の教会総会の承認を得て本物が取り付けられるようになりました。




渡辺君の両親は30年位前私がマスコミに取り上げられ精神的に苦しんでいた時、新聞を読んですぐに駆けつけてくれ何も出来ないでいた私の側に寄り添ってくれました。また、牧師をしていた伊東教会に招いてくださり特別伝道会の講師として立ててくださり力つけてくれました。その時渡辺君は高校生(?)でした。




彼の二人の姉妹は牧師夫人になりました。彼は洗礼をまだ受けていないようですが心の中にはイエス様が生きています。もうすぐ両親はここに一緒に住むでしょう。そして毎日、十字架の両脇にはめられたステンドグラスから差し込んで来る明かりの中で祈りをすることでしょう。そして渡辺君も両親と一緒に。






先週、木曜日(20日)デーサービス白鳥に園児たちと慰問に行きました。




8月下旬に私たち民生員はそこに視察に行きました。帰り際、職員が後ろから「園長先生。」と、私を呼んでいるようなので振り返ってみると私に「ぜひ子どもたちをつれてきてください。」と話すのです。「お年寄りの方は子どもが大好きなのです。一番喜んでくれます。」と熱心に依頼されました。




民生員としてデサービスを利用している方々を身近に知っていますので視察も大事と民生委員として視察に行ったときのことです。お年寄りの方々は介護職員とお楽しみ会をしていました。雰囲気に入れないでいる方がいました。デーサービスはこのようにして一日を過ごすのかと見ていたときでした。




急な申し出なので日程を何とか調整して20日に34人の園児と共に行きました。既にお年寄りの方はきちんといすに座って並んで待っていました。




私たちが行くとニコニコして子どもたちの姿を追っているのです。楽器演奏が始まると涙を浮かべながら聞き入る方、リズムを取って体を動かす方、みなさんほとんどの顔が輝いていました。タオルを手にして簡単な運動をしました。生き生きと子どもたちに合わせて体を動かしていました。園児たちと握手しました。




30分ぐらいで終わりましたが皆さん満足したような笑顔でした。視察の時とはまるで対照的な姿を見て、来て良かったと心から感じました。利用者の中には私が子どもの頃お世話になった人も居て私を覚えていました。「平山さん、しつけはたいしたもんだ。こんなに上手に出来るとは感心したよ。」と手を握って話してくれました。




80歳前後の方々ばかりでした。これらの方々は若い時一生懸命働いてきた方々です。そして今の私たちがいます。




団塊世代が今年65歳に突入したとマスコミが報道しています。団塊世代は日本の成長を支えてきました。米の収穫作業は今、機械がしてくれます。しかし私の青春時代は一株を手にし、鎌で刈り取っていきました。エアコンもありませんでした。今は何と楽な時代になったでしょう。




おじいちゃん、おばあちゃんたちも額に汗して働いてきました。苦労を苦労としないで働いてきた人たちです。私たちはその労を忘れてはならないと思いました。






先週、私たちの教会は初めてのことをしました。礼拝後に皆と握手をしたことです。




ちょうど説教の聖書箇所が「神様の愛は差別のない愛」と言うところでした。




私は田舎の保守的な人間ですから新しいことを受け入れるには勇気が必要でした。他の人との握手は聖書学院に行くまでしたことがありません。学院で宣教師から握手を求められた時は驚きました。




保守的な人は今までのことが変わらないほうが何か安心感があります。しかし先週は聖霊に押し出されて握手をするという新しいことをしてみました。妻の感想では「とてもよかった。よく決断しましたね。」と褒められとても嬉しくなりました。




おそるおそるしていた私は、なにか大きなお墨付きをもらったような気がしました。これからも続けていきたいです。




人間には自分に合う人、合わない人がいます。教会員でもいつも親しく話せる人とそうでない人がいます。どうしても私たちには好き嫌いがあります。イエス様の弟子の中にもありました。人間の持っている大きな現実です。




なぜ人には好き嫌いが起こるのでしょうか。自分に合う人、合わない人が出るのでしょうか。キリスト教会内でも好きな牧師、そうでない牧師が出来てしまいます。しかし天の父は悪い人にも良い人にも同じように雨を降らせ、同じように太陽を上らせます。差別がありません。この恵みを教会がしっかりと受け止められたなら神様の大きな祝福を受けることでしょう。




ただ形だけの挨拶でなく心からの挨拶が必要です。私たちは救われる前は神と敵対関係がありました。イエス様は敵対関係を破棄され和解の福音を与えてくださいました。和解には平和が伴います。平和な人には希望が生まれます。




私たちはイエス様の十字架によって隔ての壁を取り除いていただきました。人間ですから好きな人、好かない人、苦手な人があるでしょう。




キリスト者の根源はお互いがキリストを頭として一つの体にさせていただいていることです。教会はキリストの体です。体の器官はお互いが助け合い補って正常な姿なのです。個人の感情はそこにはありません。ただキリスト・イエスの思いがあるのです。




私たちがイエス様に受け入れられた恵みを忘れないようにしていきたいです。






私は東京に出ると二つのことをいつもしていることに気がつきます。




一つは駅の通路を歩く時、人に当たらないように泳ぐようにして歩いていること。こちらに歩いてくる人波を見ている自分。




もう一つは駅から外に出て歩いている時、ついつい目が高い建物に向かっていること。潮来では見られないとても高いビルがあちらこちらに建ち並んでいます。最近はとてつもなく高いタワーが建ちました。




68年前東京はアメリカ軍の空襲で凡てが燃やされ瓦礫になってしまいました。しかし今は世界に肩を並べる大都会と変貌しています。




電車が開通する前の御茶ノ水駅周辺の写真を見たことがあります。神田川は土手に挟まれるようにして流れています。そこにサッパ舟のような小さな船が浮いています。周囲の土手には草が生えているだけで家一軒も写っていません。どこか田舎の感じです。橋もありません。今の御茶ノ水駅からは想像もつかない姿がありました。撮影は明治15年とありました。




日本は大きなエネルギーに満ち溢れ大きく発展をしてきました。しかし、今はエネルギーが枯渇しつつあります。国の借金は国民一人当たり800万円以上の額になっているといわれています。そして国の会計は毎年借金を増やして成り立っています。日本の国には今までのような力はありません。




日本ホーリネス教団は伝道第一教団と自負していました。しかし、今は40年前の三分の一しか洗礼を受ける人がいません。教会にも今までの力がなくなっています。それはキリスト者の力がなくなっていることを意味します。




イエス様は「つかれた人、重荷をおっている人はは誰でも私のもとに来なさい。休ませてあげる」と言われました。これはイエス様を知らない人だけに語られたお言葉でなく、私たち一人ひとりにも語られている言葉です。




私たちには、休みをあげよう来なさいと招いているお方がいるのです。こんな感謝なことはありません。頑張りなさいと人を励ますのでなく、疲れを認めてくれているお方が招いてくださることを知りましょう。




そしてそこで休み、リフレッシュをしましょう。新しい力が与えられます。神様は生きています。






今まで経験したことのない年齢に入ってきました。66歳に入ってきたのです。




60代前般は鍛えようによって若さを維持できるが、65歳を過ぎると鍛えても衰えは防げなくなってくるといわれています。視力が失われ、歯が失われ、頭髪も失われていく、そして体力も。




一番感じるのは記憶力です。いろいろと覚えられないことがあります。外出する時に何か一つか二つの忘れ物をしてしまいます。先日も水戸での会合に行ったとき筆記用具を忘れてしまい。何もメモすること出来ませんでした。




一番のおそれは、自分が言ったこと。言われたことを忘れてしまうことです。特に夫婦間で言った、言わないでもめることが多くなりました。




次に人の名前が覚えられなくなっていること。100名以上の園児がいます。その名前を覚えている園児は半分にもなりません。何回聞いてもすぐに忘れてしまう。3人の男の孫の名前を呼ぶときに「だいき、みちき、げんき」と読んで「じいちゃん、僕は、だいきだよ」と言われてしまいます。




段々記憶が薄れてしまって自分の家が分からなくなってしまうのではと、今から先のことを心配しています。聖書の御言葉もそれがどこにあるか段々と記憶が薄れてしまっています。




そこで課題になるのは次の世代に働きをいかににバトンタッチするかです。アブラハムしかり。モーセしかり。ダビデ、エリアと聖書には後継者のことが多く書かれています。




使徒パウロは結婚していませんでした。そこでパウロは第二次伝道旅行途中に出会ったテモテを大変気に入り「愛するわが子テモテ」と呼んで手紙を書いています。パウロにとってテモテは実の子どもより愛する存在だったのかと思います。テモテへの手紙はパウロの晩年に書かれたものです。(テモテ二4:6,7)




自分の後継者となるテモテに2通も手紙を書いて、きめ細かに教えています。人間は誰でも老いていつかは命を終えます。その時にどのような人が次を継いでくれるかがその人の生き方を評価するものとなると思います。




命は継承されます。命だけでなくもっと大切なものを次の世代に渡せるか。そんなことを考えるようになりました。


8月






恒例の教会バーベキューが先週行われました。親子合わせて60名以上の参加者でした。メニューはバーベキューだけでなく色々あり楽しいひとときを持つことが出来ました。




教会堂は田んぼに囲まれ民家は100メートル以上先でないとありませんから周囲に気兼ねなく出来るのが強みです。心配していた奉仕者の方々も沢山来てくださり本当に頑張ってくださいました。心からのお礼と主の祝福があるよう祈ります。




豚、牛、鶏の肉、野菜、魚介類、おにぎり、焼きそば、かき氷りと盛り沢山。いつもなら肉を食べる時二切れくらいしか食べないのにこのときばかりは不思議にいくらでも美味しく食べられました。周囲の環境もよく、皆でワイワイと焼きながら食べる美味しさは格別でした。




今回は保護者と子どもたちの参加が同じくらいありました。第一部は礼拝、親子一緒の礼拝です。私の親戚の子も家族4人で参加してくれました。和子先生が話す説教を親も子も聞きました。これだけでも素晴らしい伝道会です。外部から特別講師を招かなくても御言葉が語られるのです。




そして二部にお楽しみ会(バーベキュー)が始まりました。大輝君のおじいさん、頭にタオルを巻き汗を流しながら一生懸命に焼いてくれました。奉仕の中で最高齢者です。駐車場の草刈りもしてくれました。何をしても仕事が上手です。




買出しは二回も行きました。皆さん焼きたての肉を「あつい、あつい。」と言いながら何回もおかわりです。野口兄が飲み物を差し入れてくれました。とっても嬉しかったです。柏から参加したお母さん「皆さん多く集まり、楽しそうにしているのを見て驚きました。」と感想を語っていました。後片付けも最後まで残ってきれいにしてくれました。




理想の姿です。おじいちゃん、おばあちやんから孫まで。また、洗礼を受けていない人が6割くらい協力してくださった教会行事。地域の方々に少しでも受け止めていただけているのかなと感じました。




この始めは約30年前、お盆休みで地元に帰ってきた人たちの交わりの時として始めたのが出発でした。その時も楽しかったです。これからも主にあって楽しいことを続けましょう。






先週、月曜日から水曜日まで軽井沢に行ってきました。




お盆休みは家で昼ね、聖書、読書三昧をしようと思っていたのですが、和子先生の勧めもあり行きました。




軽井沢を夏の避暑地に日本に広めたのはキリスト教宣教師でした。ですからここにはキリスト教会が人口密度からいうと日本で2番目に多いところです。




日本に来ている宣教師たちは夏の暑さを避けてここで7、8月の2ヶ月間をバケーションとして過ごします。宣教師たちは日本の牧師に伝道は教えましたが夏期休暇は教えませんでした。せいぜい私たちは3日間です。




ここは朝、夕、寒いくらいの快適な所でした。軽井沢恵みシャレーの礼拝堂は水郷めぐみ教会に似ていると多くの人から言われていたのでどんなチャペルかと見ました。大きさは違いますが構造は水郷めぐみ教会の方がよく出来ています。




浅利家を交えてこの礼拝堂で朝の祈りをしました。教会が多いというので教会を見て回りました。印象的だったのは石の教会です。これは内村鑑三を記念して石で作られた教会です。彼らは無教会ですから私たちのイメージする教会堂とは少し違います。




ここに内村が書いた有名な言葉があります。「私は日本のため、日本はキリストのため、世界は神のため」が英語で書かれた自筆が展示されていました。私が20歳の頃、大きな驚きで読んだ言葉でした。




内村は愛国者でした。それはキリスト教信仰に裏付けされたものです。彼の祈りは、日本がキリストの救いを受けて世界に神を証しをする国となることでした。内村もここに別荘を持っていました。2ヶ月の間ここで過ごしました。その時に生まれた祈りがこれです。




彼は毎年夏になると東京から軽井沢に引越ししていました。そこで静かに神様と交わるときを持ち、9月になると東京に戻り聖書講義を始めたのです。




この近くにある軽井沢高原教会も内村鑑三ゆかりの教会です。こちらは普通の教会と同じで結婚式が多く行われるところでも有名な教会です。若者が沢山訪れていました。彼らが軽井沢の高原にいる時だけでなく、それぞれの生活の場に戻ってからも教会を訪れてくれたらと思いました。




私たちの信仰が日本のために、日本が世界のためにというビジョンは大きいです。






先週、茨城教区会があり、キャンプの反省会もしました。




今年は2年ぶりの教区主催のキャンプでした。昨年は震災のため水郷めぐみ教会だけで行いました。




今年の教区全体生徒参加者は43名、その中でめぐみ教会から41名でした。茨城県にはホーリネスの名前を持った教会が6個あります。その内でキャンパー参加者の教会は2教会でした。参加者がない教会もありました。




しかし教区全体で取り組み、参加者のない教会からも奉仕する人があり、みんなでキャンプを支えました。そんなキャンプの反省会で多く出た言葉は「今は時代が変化している。子供たちも参加しにくい状態になっている。参加できるように短いキャンプがふさわしいのでは」でした。




キャンプの目的は家を離れて教会中心のスケジュールで生活をしイエス・キリストを伝え参加者にイエス・キリストを受け入れられるようにするのがバイブルキャンプの目的です。そのためには二泊三日の時間は必要です。




これを子供たちが参加しやすい形に改めるようにするには伝道の目的がおろそかになってしまうのではないかと心配します。また社会の変化とともに参加しにくくなっているとの話でしたが、水郷めぐみ教会は昨年23名、今年41名と参加者が増えています。




2年生になったら参加できると楽しみにしている子供たちや、来年も参加したいと今から言っている子供たちもいます。もしかしたら来年は教区主催のキャンプは今までと大きく変化するかもしれません。




しかし私たちはキャンプを楽しみにしてる子供たちがいる限り、今のままの姿で続けたいと思っています。昨年のように単独になるかもしれません。そうなると奉仕者が多く必要になります。




次世代育成、信仰の継承を掲げている教団です。青年も大事です。小学生も大事です。幼児伝道も大事です。働き人が必要です。主イエスは言われました。「収穫は多いが働き人が少ない」と「だから働き人を送ってもらうように祈りなさい」と。




それにしても教会の子どもに対する伝道は後退しているように思えます。30年前はどこの教会にも日曜学校がありました。子どもたちはたくさん集っていました。




少子化の波もありますが子どもたちは教会の宝です。使命と祈りをもって進む姿勢が大事です。






キャンプが終わってから毎日晴天続きです。それだけでなく連日35度前後の猛烈な暑さで夜もなかなか寝られません。横になっているだけで汗が流れ出しています。




先月、私は満65歳になりました。同級生は退職し、第二の人生を楽しんでいます。私たちは戦後の第一次ベビーブームで人口構成では一番多い団塊の世代です。そのため人口構成が逆ピラミット型になり社会保障の危機感を生んでいます。




私たちは今まで高齢者の福祉をみんなで支えてきましたが、いざ年金を受ける時期になって後ろを見たら私たちを支えてくれる人が激減しているのです。政治の根本問題はここにあります。




こうなる前にもっと有効な手を打てなかったのかと評論家がつぶやいています。これはキリスト教会も同じで、高齢者が占める割合が多くなっています。




そのため教会は伝道や財政に力強さが少なくなってきています。幸い私たちの教会は誕生して20年と若い教会です。教会に来ている年齢層は一つに偏っているということはありません。赤ちゃんや小学生から高齢者まで礼拝を守っています。感謝なことです。




40年前の日本の教会は若者でいっぱいでした。35年前、私が牧師をしていた教会も高校生が半分いました。




日本ホーリネス教団の祈りは次世代育成です。信仰の継承です。若者伝道に力を注いでいます。バイブルキャンプや、今月東京代々木で行われる青年を対象にした「ジャム大会」があります。




しかし気をつけなければならないこともあります。余りにも若者と力を入れるため、若い人に対して迎合し過ぎないことです。聖書の基本をしっかりと捉え、語り、伝えることが大事です。




和子先生は親子礼拝で聖書の話をきちんと語っています。それがいつの間にか子どもの心にしみ、彼らの考えの基本に聖書のお言葉が自然と身について来ています。




今回バイブルキャンプに来ていた子どもたちで、こひつじ園を卒園している子たちは聖書の話が素直に受け入れられている姿を見て感じました。彼らは20年後、30年後は立派な大人です。そのとき私はこの世にいないと思います。しかし教会は続いています。

7月






7月は色々なことがありました。津波被災地への視察、水郷聖会、バイブルキャンプと、どれも大切なことです。




特にバイブルキャンプは次世代への信仰の育成の目的を持ってのキャンプでした。




「こひつじ園」はゼロ歳から預かっています。そして6年間の保育を終え小学校に進みます。2年生からキャンプの案内をします。今年は私たちの教会から41名の生と参加者が与えられました。最近では一番多い参加者でした。




昨年、教区が地震で中止になりました。既に行う予定で準備が整っていましたので私たちの教会だけで予定通り行うことにしました。休まなかったことが参加者の意識が残っていたかと思います。




二泊三日の生活を共にして感じることは、園生活でキリスト教保育を受けていた子どもたちは聖書の理解が早い。お言葉を読んでも、賛美をしても、またお祈りにしてもしかりです。




私は2年生と3日間共にしました。疲れましたが充実した3日間でした。みなさんの祈りと祈りが具体的に奉仕へと進んで時間を労力を捧げてくださった奉仕者がいたからこそできたことでした。奉仕者がなければ参加した生徒を導くこともキャンプを実行することも出来ませんでした。




「水を汲んだ僕は知っている。」と聖書に書いてあります。奉仕の恵みを受け止められたことと信じています。




教会はキリストの体です。教会を建てあげるにはキリスト者一人びとリが自分に合った奉仕をすることによって教会は集会をするだけの場でなくキリストの体としての機能を発揮することが出来るのです。




イエス様がみなさんに求めておられることは礼拝だけのキリスト者だけでなく自分から能動的にキリストの体である教会を作り上げるために出来ることを祈り神様に奉仕することです。




私たちの教会は創立20年になります。そろそろ各会を作り、それぞれが主体的な主の働き人となって社会に向かってキリストを証しする教会形成を目指す時期に来ているかと思います。




一人びとリの力がまとまると教会はこの世に伝道する教会となっていきます。主イエスは「あなた方は世の光、地の塩」と言われました。




















私はもうすぐ満65歳です。先日潮来市役所から「介護保険被保険者証」なるものが送られてきました。自分では若いつもりですが老人になったと実感させられます。年を重ねることを喜ぶべきか、それとも悩むべきか。




牧師の定年まであと10年です。10年しかないと考えるべきか、10年もあると受け止めるべきか考えさせられるところです。(これはその時まで生きているという前提です)




最近、歩く時足が上がらなくなってよくつまずくことがあります。意識して足を上げて歩くようにしています。




そんな中、今年もバイブルキャンプが始まります。昨年は震災で教区主催のキャンプが中止になってしまいましたが、私は何でも地震のため中止にするという流れに逆らって教会単独で行いました。奉仕者が与えられるか心配でしたが主は充分な奉仕者を与えてくださいました。




今年は教区主催が再開しました。私達を入れて6教会です。私たちの教会から現在40名を超える参加申し込みがあります。そして奉仕者も教会からの奉仕者以外に東京聖書学院から3名の伝道チームと志賀訓練生が与えられました。強力な奉仕者です。またY姉のお母さんも来てくださいます。




教会から子どもたちが少なくなって来ています。そんな中で40名を超える参加者が与えられていることは驚異です。




水郷めぐみ教会が生まれて今年20周年になります。神様から語られたことは「子どもたちを大切にする。」教会です。大人も子どもも、神様は一人の人間として受け止めておられる。これは私たちの信仰でもあります。




和子先生が一生懸命親子礼拝を指導しています。丈夫兄、みどり姉が協力し奉仕しています。この二人もキャンプは毎年参加していました。




親子礼拝、キャンプに参加する者の中から主は信仰の後継者を起こしてくださいます。牧師夫妻は高齢者になってきますが、子どもたちが導かれ教会に子どもたちの元気な声が沸きあがっていることは何よりの感謝です。




参加する子どもたちのために、奉仕者のためにそして私たち牧師夫妻のためにお祈りください。







先週、3、4日と岩手県、宮城県の津波被災地を訪ねてきました。テレビでは何回も見ていましたがそこを訪れ自分の目で実際に見そこの空気に触れるとテレビから伝わってこない現実の悲惨さに言葉を失ってしまいました。




一つの市街地が全部なくなってしまう。家も財産も、仕事も、そして命をも奪ってしまう津波の恐ろしさ。私たちが訪れたのはほんの一部ですが東日本全体で2万人以上の命がなくなりました。これがあの3.11の現実です。




帰り、仙台近くを高速道路で走りました。高速道路の左側(海岸線)の広い田が雑草の枯れたような状態でどこまでも広がっていました。はじめ、あれなんだろうと思ってみていましたが水田であることが分かりました。




だいぶ前小さな子ども二人を自動車に乗せて和子先生の実家山形へ行く時、国道6号線を北上し仙台から山越えをして山形に入りました。その頃、ここはきれいな緑の稲がどこまでも広がっていました。津波はここまで進み水田が海水で覆われ塩害が出てしまったのです。




あの地震によって発生した大津波は色々な被害を東北から関東にかけてもたらしました。しかしこれは地球が生きている限り(地球が活動を止めたら人間は生きて生けません)当たり前のように起こる現象なのです。




市街地がなくなったところでは少し高台に建っていた家は瓦も壊れずに大きな被害もなく建っていました。帰りのバスの中で考えながら来ました。人間は自然を支配しているのでなく自然の中に生かされていることを忘れてはいけない。




今の時代、人間は科学全能で自然を支配しているような生活です。日の出地区も湿地帯を埋めたところです。もっと謙遜に自然と向き合わなければならないと感じました。




それにしても仮設住宅の環境の悪さ。一日も早く以前のような生活に戻れるよう祈るばかりです。東北の海岸線に続いていた町並み。そこで普通に生活していた人たち。これからどのように生活を立て直していくのか私には分かりません。しかし考えの中に入れておくことはこれからも津波は来るということです。過去にも来ました。







 イエス様を信じてキリスト者になることはどんなことでしょうか。色々な言葉で言われています。




罪許され神様の子供にしていただいた。自分中心の生き方から神様中心の生き方に変化した等。洗礼を受けたばかりの時は新しい生活になったと身も心も爽やかになります。しかしいつの間にか爽やかさも感謝も少なくなり、不平不満が生まれてきます。




「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、全てのことに感謝しなさい。」は素晴らしい言葉です。信仰を持ったときは素直に受け入れられました。しかし段々と実行が難しいことと分かってきます。




これを例えると、イエス様を信じる前の魂は畑に雑草が生えていた。雑草がとれてきれいになった。草抜きは好きです。後が気持ちよくきれいになるからですと、いった人がいます。




そうです、神様を信じたときは気持ちの良いものです。それがいつの間にか変化してきます。それは不平の種を魂に蒔こうとする存在者がいるからです。




綺麗になった畑に、どこからとなく雑草の種が魂に運ばれてきて再び草が生えてきます。信仰の恵みを維持するには雑草の侵入を防ぐ必要があります。サタンは私たちの魂に入り込む隙をいつも狙ってると聖書に書いてあります。




種が飛んできたのを知らせるのは神様です。しかし何もしないでは神様からの知らせに気づくことが出来ません。




聖書にこのような祈りがあります。「神よ、私を究め、私の心を知ってください。私を試し、悩みを知ってください。御覧ください、私の内に迷いの道があるかどうかを。どうか、私をとこしえの道に導いてください。」(詩篇139:23・24)




これは魂を正しく管理する祈りです。神様は私達が何をしなければならないか、神様が私に語りかけている言葉がわかってきます。早めに雑草を防ぐと素晴らしい実りを収穫することができます。それは30倍、60倍、100倍の収穫をもたらします。




魂を管理することは実りあるキリスト者人生を送るに大切なことなのです。



6月





神様に自己点検をしていただくには「神様よろしくお願いします」と求めなければなりません。謙遜が求められます。謙遜は誰に対してされるものなのか。他の人に対してもそうですが、まず神様に対して謙遜を示します。




謙遜は祈りです。祈りには時間が必要です。昔、ちいろば牧師榎本先生は「毎朝の15分間があなたを変えます。」と力説していました。




聖書を読むときそこから励まされるお言葉を捜そう、今日一日のお言葉を選ぼうという気持ちがあります。これは間違ったことではありませんが、基本は「主よ、語りください。私は聴きます。」です。(サムエル記) 




まず神様に今の自分を点検していただくのです。神様は誰よりも私をよくご存知なお方です。そうすると今の魂の状態がわかってきます。




悔い改めることもあるでしょう。感謝する時もあるでしょう。私たちの前には色々な歩みがあります。そんな中で神様は私たちに「命を選びなさい」と語っています。(申30:19)




選ぶということは私たちがする行為です。何を選んで生きていくのか、日々決断が求められることです。命を選ばなければ喜びも感謝もありません。何もしなければ神様の恵みを頂くことは出来ません。畑はそのままにしておくと雑草で埋め尽くされます。作物が実らなくなります。実っても小さなものになります。




その為、農夫は畑を手入れします。すなわち畑の管理です。管理を怠ると収穫はありません。日々に神様の御前に出て神の語りかけを聞くことは大事な魂の管理です。




恵みは自動的に来るものではありません。主イエスは毎朝早くから神に祈る時を持ちました。あるときは「できるならこの道を進ませないでください」と祈りました。神とのやり取りの中で御心に従ったのです。主イエスの謙遜をみます。




あなたは自分の魂がどのような状態にあると思いますか。静まりの時を持って自分を見つめましょう。そして魂を管理しましょう。そのままに置いておくと豊かな実を結ぶことは出来ません。雑草で恵みが育たなくなってしまいます。











今年も潮来にあやめ祭りが来ました。潮来のあやめは歴史が古く、野口雨情にも歌われています。




 私の両親は畑に沢山あやめを作り、お客さんに販売していました。ですから私もあやめとの付き合いは意外と長いです。昔から好きな花です。




 最近は各地にあやめ園が出来ました。佐原では潮来を凌ぐ立派なあやめ園が出来、お客さんは佐原に多く行くようです。




 先日あやめ園に行ってきました。今年の花は残念ながらいつもと違って良くありませんでした。どうも管理する人が変わったという話です。花の命は短いですが、立派な花を咲かせるには一年間の手入れが大切です。四季折々の手入れがないと花はきれいに咲きません。




 これは私たち信仰者にも通じることと思います。私たちが「時が来ると実を結ぶ」ようになるには自分の魂を管理する必要があります。




 「魂の管理」という言葉はあまり聞きませんが、とても大切なことと思います。花や植物の手入れはその状態を把握して適切な手入れが必要です。私たちの魂の状況もそうです。今はどんな信仰状況にあるのだろうか。




「いつも喜んでいなさい」と言われるがいつも喜ぶことの難しさを感じることもあります。時には悩み迷うこともあります。それを癒してくださるのは神様です。




 神様は羊飼いとして私達をよき道へと導いてくださるお方です。しかし、羊は自分勝手です。羊飼いの思いを理解しないで自分の行きたいところに行ってしまいます。今、自分の魂の状態はどうなっているだろうか。実を結ぶことが少なくあせってはいないだろうかと、魂に問いかけることが必要です。




 自分の魂の理解は大切です。その為に私たちは神様の前に静まる時を持たなければなりません。朝のひと時、寝る前のひと時、静かに聖書を読み神様、今私に必要なことは何でしょうかと問いかけるのです。




 神様は私達を良くご存知です。必ず私に必要なことを示してくださいます。示されたら魂を豊かにする作業をしなければなりません。そのままにしておいては美しい花は咲きません。











寒さ嫌いの私にとって今は快適な時期です。ストーブも要らない、クーラーも要らない。服装も軽装ですむ。何から何まで一年で一番過ごし易い時期です。




 一日の始まりも4時少し過ぎに明るくなります。野菜も育ちます。花も色々な種類が咲いています。それらは日に日に成長しています。自然のものは手をかければそれに応えてくれます。それだけ手をかけるやりがいがあります。神様が創られた自然界は正直です。




 人間は自分の子どもでも思いのままにならないことがあります。まして他人である社会人はそれぞれの個性を持っていますからこのようになったら良いのにと思っても自分の都合のいいようにならないのが普通です。そこに人間間で事件が起こるのです。




 これは信仰の無い社会だけのことではありません。教会の中にも起りうることです。




 世界初の宣教師となったパウロとバルナバは思いと祈りを一つにして困難な宣教活動に励みキリスト教会の基礎を作りました。しかし二回目の宣教に旅たつ時この二人は分かれてしまい。それぞれの道に進んでいきました。激論を交わしましたが一つになることは出来ませんでした。そして別々に伝道の道を進み始めたのです。




 しかしこれは大きな祝福をもたらしました。伝道の働きが二つに分かれて進んでいったのです。倍の伝道活動が起こりました。神様の祝福を受けた大きな理由があります。彼らは別れた後お互いを悪く語ったり批判をしたりしなかったのです。お互いの存在を認め尊敬していたのです。ここに祝福の大きな原因があります。




 教団でもかつて分離事件がありました。そして裁判にまでなりました。それまでの大きな祝福は止まってしまいました。




 現代の教会にも同じようなことが見られます。違いを認め受け入れることはそれだけ難しいのです。自分が全面に出るからです。




 パウロはキリストが伝えられているのならどんな動機であれ私は喜ぶと言いました。神様に用いられた大きな器です。




 野菜はみんな同じような手入れができません。それぞれが違うのです。花もそうです。違いを理解した人が大きな恵みを体験できます。










 5月13日、第10回教会総会が行われました。昨年度の報告と今年度の活動計画が祈りのうちに話されました。その報告です。




1)会堂返済を今年度で完納する。会堂建設の時、多くの献金が捧げられました。少人数にも関わらず捧げられた額は多かったです。しかしそれでも約一千万円不足していました。銀行から借り入れることも考えましたがK姉が10年払いで貸してもよいと申し出られ借り入れることが出来ました。その時、姉は利息分を献金として申し出てくださいました。支払いは月10万円です。




 私たちは毎月会堂返済のため捧げました。その結果、5月18日完納することが出来ました。ハレルヤ!私たちの祈りと信仰と捧げものの結果です。主を賛美します。




 しかし建築物は年々老朽化し傷みも出てきます。現に2箇所雨漏りが出ています。(1箇所は応急処置で止まりました)また、将来会堂を改築する時に多額の費用もかかります。その為これからは会堂維持献金と名前を改めて協力をお願いすることになりました。




2)将来の教会を考え今の子どもたちを大切にしていくことが確認されました。子どもは我々と同じ一人の人間です。洗礼を受けていない子どもは求道者です。ですから私たちと同じ礼拝者とカウントします。クリスチャン新聞に大人の礼拝の献金と感謝の祈りを子どもにも奉仕してもらっている教会のことが載っていました。(JECA・めぐみの丘チャペル 千葉県四街道)子どもを大人として受け止めている教会です。神様の祝福を受け注目されています。




3)訓練生として聖書学院で学び訓練を受けている志賀姉にサポートする。




4)30名礼拝を目標とし私達一人一人がその一員であることの確認。私が礼拝を休むと30名にならないとの自覚を持つ。




 最後に,牧師の高齢化です。私たち夫婦は既に60代になりました。牧師は65歳です。40代、50代の時のように動けません。これから若くなることはありません。6時からの夕拝がきつくなっています。5時前に来てくださると嬉しいです。牧師の働きを考える時、年齢を考慮していただけたら幸いです。



5月








 先週の特集は沢山の方々が午前礼拝、午後の親子礼拝に来てくださいました。本当に感謝です。


 午前と午後で180名の方々が集い、その中の8割以上がノンクリスチャンということは大きな伝道です。車が次々に教会に入って来ました。壮年の方々が車の誘導をしてくれました。駐車場案内に誘導者がついている。これが毎週の出来事であったらどんなに素晴らしい事かと思いました。




 礼拝堂いっぱいの人々。ゲストの方々も驚きをもって集会を進めてくださいました。




 各戸にチラシ配布をしました。ポスターも貼りました。郵送もしました。こひつじ園の参加がありました。私の班の方も両隣り二軒から2人の奥さんが来られました。私は家ではおじさんですので牧師となって働いている姿に新鮮な驚きを感じたようです。




 都会と違って地方は近所の付き合い、人の目、昔からの風習等が強く教会に来ることに難しさを感じます。




 午後の親子礼拝にも親と小学生が多く集いました。保育園児、幼稚園児、小学生は教会の大切な求道者です。求道者に私たちは親切にします。そのような思いを持って子どもたちに対応するなら彼らは10年後、20年後には洗礼を受け水郷めぐみ教会のメンバーになります。私はそれを考えると喜びが湧きあがります。




 保育園、日曜学校と進み、今は青年キリスト者として証ししている青年もいます。彼らも小さい時は元気で今の小学生と同じでした。




 先日の総会のとき「私は20年後、教会にはいません」とお話ししました。みなさん笑って聞いておられました。20年後の教会の在りかたを求めるのは大事なことです。




 20日の礼拝の姿は主の祝福です。しかし考えてみるとそこまで行くには多くの努力と祈りがないと出来ません。講師の選定と打ち合わせ、チラシ作成と配布、戸別への案内配布。駐車場準備、祈り会出席、前日の準備、それも当日は30分前以上に来ての準備。自分を主に捧げないと出来ません。




 これが年に2回ですから出来るのであって毎週の事となるととても忙しくなります。少ない方が家庭的な雰囲気で楽しい思いもあるのです。




 教会が成長するには私たちの考えも成長が求められます。やれば出来るのです。祈れば応えられるのです。少しずつ成長していきましょう。







今日は水郷めぐみ教会においでくださり嬉しく思います。私は、こひつじ園の園長として知られていることが多いです。民生児童委員として各家庭をお訪ねすることもありますが、本当は牧師です。




 カトリックでは神父と呼びますが私たちプロテスタントでは牧師と呼びます。キリスト教の多い韓国などと違ってキリスト教の少ない日本ではまだ認知度が低いので残念です。




 でも今日、水郷めぐみ教会に来られた方々はキリスト教に対して正しい認識を持たれると思います。牧師は皆さんと変わった生活をしているわけでありません。普通にご飯を食べ結婚もします。また映画を観ることもあります。決して仙人のような生活をしているのでもありません。私は野菜つくり、花作りが大好き人間です。




 牧師の働きは神様を知らない人に神様を伝え、天国への道案内をするようなものです。




 本日の説教者、中野雄一郎牧師は名古屋生まれです。若い時にアメリカで牧師をし、その後ハワイのホノルル教会の牧師となりました。わたしたち家族(6人)は3年前にハワイに行き大変お世話になりました。日本からのお客さんを接待するのが大好きな先生です。今はホノルル教会の牧師を辞し、アメリカ本土や日本各地また世界各国を廻って神様のことを伝える働きをしています。




 話は分かりやすく内容は「葛飾柴又の寅さん」的な話でとても親しみ易い先生です。奥さんとは恋愛結婚です。私には難しいことですが「妻の3歩後に従っていることが上手くいく秘訣」と先生が私にそっと話してくれたことがありました。奥様は本場ハワイフラダンスの名手です。




 音楽ゲストのサムエルさんは両親が牧師です。韓国では約人口の25パーセントがキリスト者です。日本に来ている韓流スターの多くがキリスト者です。韓流スターの魅力の背後には神様(イエス・キリスト)がいます。




 神様を信じることは日本で難しく思われていますがそんなことはありません。イエス・キリストは私たちと同じアジア人でした。




 美味しい物は見ているだけではいつになっても美味しさを味わうことが出来ません。手を出して食べてみて初めて美味しさが分かります。今日、イエス・キリストの素晴らしさが少しでも分かっていただけたらと思います。








 潮来の主な産業は米つくりです。しかし戦争が終わったばかりで肥料はありません。そこで両親は舟を出し、川底から泥をすくい上げ田んぼに運んだり、あぜに生えている草を刈り取って田に蒔いたりしていました。




 そのうち父はどこで学んだのか家畜の糞を醗酵させたものが作物の生育に良いと知り養豚を始めました。豚舎にわらを敷き、豚の排泄物を混ぜ合わせたものを肥料小屋に積み上げます。これは重労働です。私も高校生になった頃手伝うようになりましたが服には豚の排泄物がついたり豚に噛み付かれたりして疲れる仕事でした。しかし3ヶ月もすると微生物が働き、臭いを消し有機質肥糧になるのです。神栖からトラックでもらいに来た人もいました。




 豚も多いときには50頭にもなりました。当時日本は敗戦から大きく復興していた時期でしたので肉を食べる人が増えてきて養豚は良い収入源になりました。




 あるとき豚を買いに来た人が腹巻に百万円の札束を入れて私に見せてくれたこともありました。その父の働きを支えたのが母でした。朝早く起き、子供たち3人の弁当を作って学校に送り出し夫婦でサッパ舟を漕いで約1時間かけ田んぼに行きました。(今は自動車で10分です)




 父の仕事は大雑把でしたが母はとても丁寧な仕事をし、また器用な人でもありました。何をしても上手く、近所の人たちも「小平治のキヨちゃんは仕事が上手いね」と認めてくれていました。稲を刈る鎌を研ぐのも得意で切れ味が良くなる研ぎ方をしていました。わらを編むのも早く記憶力も抜群です。(これは私に受け継がれませんでした)




 父の働きの背後には母の力があったことを今でも感じます。きれい好き、付き合い上手、料理も上手。こんなにも働いて大きな病気もせず80歳になってから礼拝に来るのを楽しみにしていた母。(私の話をまじめに聞いていたようです)礼拝献金する時は必ず紙にお金を包んでしていました。




 私は母に苦労をかけましたが、親は苦労をかける子どもほどかわいいのでしょうか。一番苦労の原因になっていたキリスト教、嫌っていた教会に来ることが楽しみになるようになった母。神様が世界でただ一人与えてくださった母親。映画を観ながらダブってきました。(完)






 先週、映画を観ました。題名は「わが母の記」。




 主役は役所広司、母親役は樹木希林どちらも名優です。原作は作家井上靖の自伝的小説です。派手な映画ではありませんが母親と長男、娘たちとの関係が丁寧に描かれていました。




 母親は段々と痴呆症になってしまいます。子どもたちはどう接していいのか迷いながらも母親を暖かく見守っていきます。役所広司も樹木希林もさすがです。演技が素晴らしいです。ついつい自分の事として観ていました。




 痴呆になった親、それを見守る子どもたち。これから多くなっていく親子関係です。何回も涙してしまいました。




 幸いに私の母親は最後まで意識がしっかりしていました。教会の礼拝に来るのを楽しみにしていたので神様が守ってくれたと信じています。




 しかし母の人生は平坦ではありませんでした。戦前、母は近くの村から平山家の長男に嫁ぎました。この家は当時としては広い農地を持っていた農家でした。家族も大勢いました。男の兄弟5人。そして妹。




 しかし子どもが生まれる前に夫は徴兵で南方戦線に行き、昭和18年ニューギニア島で戦死との報告を受けました。戦地から母宛に送られてきた葉書を何枚も見たことがあります。達筆な字で愛情のこもった文章でした。最後には潮来にいる両親のこと、弟たちのことをよろしくと閉められていました。当時としてはこのような出来事は例外でなくいたる家庭で起こったことでした。




 その後、母は戦死した夫の弟と再婚し私たちが生まれました。両親は私が小学校に入学する年に本家から分家しました。昔は家を継ぐ者が財産のほとんどを受けたので分家にはわずかな物しか分けてもらえませんでした。ですから家族5人の生活は豊かではありませんでした。




 私は兄弟の中で2番目でしたので教科書は姉が使ったお下がりか、親戚からもらってきたものを使いました。(これを成績の悪い理由にしていません)教科書の中で新しいインクの臭いのするのは一冊くらいでした。




 高校になって体育の時間、白いスポーツズボンが買えないので父が昔はいていたズボンをはいて体育をし恥ずかしい思いをした覚えがあります。両親は少しでも豊かになるよう一生懸命働きました。みんなと同じ白いズボンがはけたときは嬉しかったです。(続く)


4月










保育園を始めた時から欠かさないで続けていることがあります。


当時の園は2クラスでした。担当は和子先生と阿部先生でした。阿部先生はこの年の3月に就職が決まったのです。




園舎が完成し園児募集も終わり4月からスタートと言うとき、まだ保育士が1人決まっていませんでした。最悪の時は私が担当する覚悟でした。




私は保育士の資格もなく聖書学院でキリスト教教育を少し学んだだけでした。出来るかなと心配はありました。




開園まではあと1ヶ月。何とか神様、保育士を与えてくださいと毎日お祈りしていました。1ヶ月を切ると具体的な準備をしなければなりません。




私が担当する覚悟で準備を進めていたとき3月始めに教団本部から「保育士の資格を持っている伝道師がいる。派遣を検討しているのだが先生のところで受け入れてもらえないか」との電話がありました。




「この伝道師は幼児教育に使命を持っている人なので通常は園で働きます」とのことでした。何と、神様は開園当初に伝道師を加えてくださったのです。




この方は結婚が決まるまで2年間とても忠実によく働いてくださいました。その後、教会員で資格をとった姉妹が保育士として働いてくださいました。




これらの先生方が開園当初に働いてくれたので小羊保育園はキリスト教保育をするという基礎が出来上がったことと思います。このとき祈りの大切さを身を持って体験しました。




それ以来毎朝、園では聖書を職員と共に輪読し、私が短いメッセージを話し祈りを捧げてから仕事を始めるようにしています。




あれから35年、最近は職員が増えノンクリスチャンが多くなっています。祈りを通してお言葉を受け入れられる人が起こるようにと願っています。




毎朝、聖書を声を出して読むことは聖書の素晴らしさを発見をします。ショートメッセージをする私も恵まれます。




水郷めぐみ教会は9年前に素敵な会堂が建てられました。小保育園も4年前に認定こども園になり幼稚園を併設し場所を移し、以前の倍の規模になり園舎も立派になりました。




教会、こども園を通して信仰に導かれる方が与えられることを祈つています。




5月20日「母の日特集」が行われます。ここに聖霊の働きが顕著に現れるように祈りましょう






私たち夫婦に3月29日、4人目の孫が与えられました。「源基」と名づけられました。昔風に言えば平山家の血を引いた子どもです。




しかし、孫は両家の血を平等に受け継いでいます。でも自分と同じ苗字が付いていると平山家の孫との気持ちです。




長男は祈祷会でこのように祈っていました。「自分に相応しい伴侶が与えられるように。そして、おじいちゃんおばあちゃんが孫を抱けるように」と。




その時がいつになるかわからないでいましたがこのように現実になると、やはり祈りの大切さを感じています。




私がイエス様を信じたのが20歳の時でした。身内には誰もキリスト者はいませんでした。あれから45年。今では私たち夫婦、二組の子どもたち夫婦、そして4人の孫とイエス様を信じる身内が与えられています。全部で10名です。10倍の祝福です。




教会の礼拝に10名の者が参加するようになりました。家族総出でイエス様を信じ礼拝を守り、信仰生活をすることは日本のキリスト教会がこれから進んでいく上でとても大事なことです。




私たちのような家族があと5家族生まれたら、それだけでも教会の礼拝者は50名になります。本当にすばらしいことです。




さらに感謝なことは信仰が三世代へと継承されることです。教会に共に来るが配偶者がいない。両親と子どもが一緒に来ないと言う家は多いのです。信仰の恵みが家族全体を覆っていないのです。




「主イエスを信じなさいそうすればあなたもあなたの家族も救われます」これは聖書の約束です。実現するのに40年の歳月がかかりました。40年は長いか短いか。聖書の言葉が実現したことは事実です。




御言葉が実現するために時間が必要とするなら今から将来に向かって祈り、そして行動を起こすことが大事でしょう。真剣に祈る祈りに神様は応えてくださいます。




ユダヤ人は子どもが小さい時から親が家庭で聖書を教えています。子供達と聖書を共に読むことは私たちがする大切なそして確実な宗教教育になります。




子供に、夫や妻に、あるいは孫にも信仰の期待を持って家族の救いのため祈って行きましょう。時間がかかります。忍耐が求められます。信仰が要求されます。しかし私たちは家族の救いのため諦めないで祈り続けます。




祈りは応えられます。






先週火曜日一通のファクスが来ました。いつもの宣伝かなと思いながら細かい字を読んでみました。発信元は「いのちのことば社」内容は本の追加注文でした。




それを見て一瞬「えっ」と驚きを感じました。本が出来た時、2百部が販売店に発送されました。2百部も売れるのかしらと気になっていました。返品が来るかもしれないなと覚悟もしていました。




それなのに発売されてからまだ一ヶ月も経たないのに追加注文が来るとは。もしかして買って読んでくれている人がいるのかなと内心嬉しい気持ちになり追加注文を出してくれた「いのちのことば社」に電話を入れました。




「あの~、平山と言います。本の追加注文を頂いたのですが売れているのでしょうか」。




「注文があるから売れていると思いますよ」との返事。




店頭で私が書いた本を手にした方がお金を払って買ってくれたことを初めて知ることが出来ました。私にとってこれは大きな驚きです。




今までも本を出しましたがみんな非売品であげるだけでした。ただなら頂いておこうとの気持ちがあったのでしょうか。だいぶ頂いてもらいました。




そんな時、私の同級生が「平山、これを販売したら売れるよ」と言ってくれた言葉が心の奥に残ってました。まさか無名の牧師が書いた本をお金を出してまで読む人はいないだろうと思い続けていました。




でも、今まで色々なところを通ってこられたのも神様の助けがあっての事、そのことを証として本に残しておいても悪くないなと導かれ今回のことになりました。




売れなくても葬儀の時、来てくれた人にあげてもいいかなと冗談半分に家族と話していましたが、日本中のキリスト教書店に並べられ始めました。




潮来で生まれた農家の長男がどのようにして神様を語るものとなったか、神様がどのようにして一人の人間を導かれたか。そして神様は今も生きていることがこの本を読まれた人に少しでも知っていただけたらと祈を込めながら書きました。




ある教会では私の文章をそのまま週報に載せていました。評判は悪くないようです。主に栄光があれば感謝です。






「この人が良くなって皆さんの前に立っているのは、あなた方が十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。」(使徒言行録4:10)




この言葉は使徒ペテロが40歳くらいの足の不自由な男性を立たせたとき、癒された男の人が喜んで神殿の境内を賛美しながら跳んでいる状態を語った言葉です。




十字架上で死んだけれども、イエス・キリストは復活し、今は地上での生活をしていた時以上の恵みを持って私たちを立たせてくださるお方ですとペテロは語りました。




今日は復活祭、主イエスが死者の中から復活したことを記念し、お祝いする日です。ただ記念するだけでなく、あの40歳の男性のように主イエス・キリストの恵みによって強くしていただける時でもあります。またそのことを祈り求める日でもあります。今は復活した主イエスが私たちと共におられるのです。




しかし私たちはなかなかその実感に触れることが出来ていません。これは日本キリスト教会全体の問題でもあります。




復活した主イエスが一人の人を癒した時、5千人の男性がイエスを信じました。聖書は「信じた人は多く、男の数が5千人ほどになった」と書いています。女性を加えるとその日一日だけで5千人以上の人が主イエスを信じたのです。本当に信じた人が多くあったのです。




イエス・キリストは昨日も今日も、また永遠に変わることのない方です。(ヘブル13:8)と、聖書に書いてあります。今日のキリスト教会が求めることは復活した主イエスの恵みを私たちも受け止めることです。そして教会がペテロ時代のように活性化することです。




神様は主イエスを信じる者、そして神様の子どもとした全てのキリスト者に恵みを注いでくださいます。




キリスト教会の活性化は日本国の活性化にもつながります。神様が日本全国にご自分の教会を建ててくださっていることは素晴らし摂理です。今こそ私たち一人ひとりが死の力を打ち破り、死の恐怖から私たちを解放してくださった主の復活を褒め称え、その恵みにあずかる時です。




今は恵みの時、救いの時です。そして主イエスは「昨日も今日も、また永遠に変わることのない方」です。







目標は100名でした。夏の暑い日そして夏休みの時、子どもたちは集まっても100名だろうと考えていました。




プログラムは厚いボール紙に数枚の動物の絵を描いてそこに棒を差し込んでの人形劇でした。その為に私たちは1週間かけて厚紙を切り、絵を描き、色塗り、そして光沢を出すための最後の仕上げ。




それから何回か練習をして準備万端。プレゼントも100名分を用意しました。一週間毎日祈り続け100名は与えられるように熱心に祈りました。




当日、多少の不安を持ちながら教会の前で待っていると目標の倍以上の子どもたちが来たのです。びっくりしました。




まずプレゼントが足らない。200名に対応するスタッフがいない。あわてて東宣社に行き、あるだけのものを買い揃え準備を整えました。




このとき話をしてくだった先生はアメリカでキリスト教育を学んで帰国してきたばかりの稲尾先生でした。当時の集会の詳しいことは忘れてしまいましたが。




しかしこのとき学んだことは、努力は必ず報われる。祈りは聞かれる。子どもは純心です。楽しかったらよく聞き、つまらなかったら騒ぎ始めます。こんな言葉で言うのは誤解があるかも知れませんが「単純」です。騒いでいるようでも彼らの耳はこちらに向いているのです。




一週間前の話を聞いてみるとすぐに答えが返ってくる子がいます。これには驚きです。ですから「御言葉を聞いても聞かなくても、御言葉を伝える」のは大事なことです。




日本の児童憲章には「児童は人として尊ばれる」と書かれています。教会では幼子も大人も同じように大切な存在です。大人と子どもの違いを持つことは神様の御旨ではありません。




水郷めぐみ教会の出発はそこからでした。水郷めぐみ教会が神様から与えられた信仰でもあります。




私は、こども園の園長をしています。職員と共に子どもに向き合う姿を学びます。その一つに保育士は、子どもと保護者との信頼関係を大事にすることがあります。




今、教会は子どもに信頼されているでしょうか。保護者に信頼されている教会となっているでしょうか。そして何よりも大切なことは神様から信頼されている教会となっているかです。




神様はご自分の大切な子どもを信頼のおける教会に委ねます。

3月






私が潮来で教会生活を過ごしたのは2年間です。東京に出稼ぎに行き、そこで教会に導かれ洗礼を受けたのが2月。すぐ田植えの準備に取り掛かるため潮来に帰ってきたのが3月。それから献身までの間は2年間しかありませんでした。




洗礼を受けての2年間は長い信仰生活ではありません。2年ぐらいでようやく教会がどんなものであるのか、そこに集う人がどんな人であるかが少しづづ分かってくる時です。そしてこれから自分が教会に於いてどのような奉仕が出来るかが見えてくる時間でもあります。




教会の牧師先生からも「そろそろ信仰が分かってきたでしょうから奉仕をしてみないか」と勧められていた時でした。そして自分も奉仕をしてみようかなと考えるようになってきたときに神様からの召命を受け何も分からないままに東京聖書学院に入学してしまいました。22歳の時です。




ですから学院時代、ミッションに派遣された教会では毎週掃除と下足番でした。




派遣された教会では小学生が集まる日曜学校はとても盛んでした。多いクラスは30名以上の生徒が毎週日曜日教会に集っていました。




そして聖書学院の生徒(ここでは修養生と呼びます)は派遣された教会からは信仰が模範者と見なされています。ですから奉仕は普通の信徒よりよく出来るはずだと見られましたから自分にとって苦痛でもありました。




しかし派遣された教会の牧師先生は理解のある方で私を信徒の補助者として日曜学校の奉仕に参加させてくれました。子どもたちの生活を見、信徒の方の奉仕の姿をみて学んでいるだけのことです。それが子どもたちに触れ合うようになった最初のことでした。




この教会では夏休みの時も続けて奉仕をしました。夏休みの記念として何か伝道をしようかと一緒に遣わされた修養生と相談をし日曜学校の特伝を計画しました。




まずチラシを作り近くの小学校2校の校門前に立って手作りの簡単な案内を書いたチラシを配布しました。どのくらいの生徒が来てくれるか心配しながら100名の目標を立てて祈りました。




当日、教会の門に立って待つていると自転車に乗った子どもたちが次々に集まり200名以上の小学生が集いました。それまでの準備の苦労がいっぺんで消えてしまった特伝になりました。







長く続いていた幼稚園、保育園の区別が無くなり一つの園「総合こども園」とした新しい制度が始まろうとしています。その為の法律も整い国会に提出されようとしています。




このようになって来た背景には幼稚園よりも保育所に子どもが行くようになってきた、保育所に待機児童が増えてきた等の理由があります。しかし一番大きい現実は日本の少子化です。




日本に生まれる子どもの人数が極端に少なくなっています。少子高齢化がこのまま進んでいくとしたらどんな日本になるか新聞等マスコミが詳しく報道しています。その為、日本に子どもが増えるような対策を考えてのことです。




日本の教会を見てみると同じように子どもたちが少なくなり高齢者が多くなってきています。そんな現実の中で教会はこれから20年後、50年後のためにどのような対策を考え、祈りを捧げているのかもう一度考えてみることが大切ではないかと思います。




私は政策の先取りをして3年前に「認定こども園」に移行しました。これは茨城県で小羊保育園が最初でした。定員が増えましたが希望者は定員を超えています。




教会ではそれまで午前にしていた子ども主体の集会を午後に移行して「親子礼拝」を始めました。多くの教会では今でも子どもは大人の礼拝の前に行って大人礼拝の時間が近づくと急いで子どもの集会を閉じるようにしています。大人は子どもより大切との意識が強いからです。




大人の礼拝中に元気な子どもがいると気分を悪くする人がいます。子どもより自分を大事にして欲しいと願っているのです。ここには子ども差別の考えが潜んでいます。




今、日本の社会は子どもを大切にして社会皆で支えて行こうとしています。教会も皆で子ども達のため祈り、考え、行動を起す必要があります。




私はこれから少しの間どのようにして子どもの大切さを学んできたかをここに書いてみたいと思っています。そして皆さんと子どもの大切さを共有していただけたらと祈っています。




そして子どもを大切にしていることが日本社会の変化からでなく、牧師の一人よがりでもなく、聖書に書かれている神様の御心がそうなんだという事実を聖書を共に読んでいる者として受け止めていただけたら幸いです。





昨年の3月11日、私たちは大きな地震に襲われました。




私は「こひつじ園」評議委員会の最中でした。あわてて外に出ると地面が揺らゆらと動き、立っていられない状態でした。




前の二階建ての家は積み木が揺れているようで今にも崩れそうでした。屋根からガラガラと大きな音をたてて瓦が落ちて来て園児たちはびっくりしました。




テレビの映像から入ってくる東北沿岸部は信じられないような姿でした。地震の持つエネルギーの大きさ。地面そのものを動かす力には今でも恐ろしさを感じています。




当初は「絆」が叫ばれ、みんなが一生懸命に被災地を支えていました。でも最近は瓦礫受け入れを巡っての自己主張のすさまじさに、これで同じ日本人か、絆を叫んでいた同じ人間かと思わせるような出来事が各地で起きています。




本当の意味で日本が震災から復興するには長い時間がかかります。今回の大地震は歴史の流れの中でみると初めてのことでなく何回も繰り返しているようです。




東北沿岸でも明治から数えても人的被害の津波が2回もあり、今回は3回目になるようです。阪神淡路大震災がありました。大正12年、東京府、神奈川県を中心とした関東大震災で死者行方不明者合わせて10万5千人の被害がありました。当時の人たちは大きな被災を受けました。しかし、その中から私たち日本人は立ち直りました。




東京は今世界有数の大都市となっています。人間の大きな力を感じます。




わたしが被災地東北に行ったのは姪の葬儀の時だけです。多くの方々がボランティアで行っているのにそれが出来ない自分自身に非力感を持つときがあります。




そんな時、慰めになるのが聖書です。聖書には人の持っている賜物には違いがあることを語っています。また、皆が同じ手の働きをするのでなく人間の器官が様々な部位によって成り立っているように働きにも違いがあると教えています。




私たちキリスト者でしか出来ない働きがあります。神様に祈ることです。被災者の方々に神様からの希望と将来が与えられるように。また、日本全国が一つの身体となってそれぞれの役割分担を果たして支えあうことが出来るように。




神様は私たちを愛されておられるお方です。私たちに最善をしてくださいます。






私は聖書学院を卒業してすぐに大きな教会に派遣されました。ここは教会員が500名以上の大教会でしたので牧師専任の毎日でした。




次に派遣されたのは田舎の小さな教会でした。ここは礼拝者が10名前後、そして教団や宣教師からの融資を受け会堂を建てたばかりの教会で多くの負債があった。




これをどう返済するか、牧師謝儀は少ししか出せないので牧師夫婦が学習塾を開きそれで生活をするようにとの話になった。そこからも献金をし会堂の負債を返済するようになった。教会は牧師が塾の働きをすることに理解を持ってくれた。ここから私の二束のわらじの牧師生活が始まった。




塾は3年でやめた。生徒は口コミでどんどん増えてきた。会堂返済も予定より早く完了した。そのまま続けていたら今頃、潮来地区で一番大きな学習塾になっていたと思う。しかし3年で止めた。




塾は毎日、午後から夜にかけて開いているので忙しかった。こちらの都合で休むことも出来ず、どこかへ出かけるときには大変な苦労をした。ただただ生徒の数をこなしていくのに精一杯だった。やがて返済も終わったので塾を閉じた。もっと伝道的なものはないかと祈って示されたのが幼児伝道(保育園)であった。




園舎を建てるのに常陽銀行に行ったが相手にしてくれなかった。そこで石岡信用金庫に行き融資を受け園舎を建てることが出来た。牧師になってもうすぐ40年になる。




先週私の書いたものが本になった。手にすると装丁が立派で驚いた。手から嬉しさと感謝がじわじわと湧いてきた。お葬式の記念として配れるねと、言った人がいた。酒や、のりよりもいいじゃないの。そうかなと気持ちが動いた。




この本は全国のキリスト教書店の店頭に並び人の目に触れられる。読んだ人はどんな反応をするカナと興味がある。お金を払ってまで読む人がいるかなと心配もある。




私は大学に行っていない。(家族で高卒は私だけ)外国にも留学していない。本当の田舎牧師に過ぎない。この本は、説教集でも神学論文でもない。神様が小さな人間に働いてくださった恵みを証しているに過ぎない。




興味のある方は読んでみてください。そして、一人でも多くの人の手に取られて読まれるようにお祈りください。


2月







子どもは社会の希望であり、教会の未来を作る力です。ですから、教会は将来に目を向け子どもの健やかな育ちに祈りと力を注ぐことが大切です。




いま、日本の国は超少子化と高齢化を進んでいます。特に子育てに関しては親だけの仕事としないで社会全体で支えようと制度を変えつつあります。これは教会にとっても例外でありません。




キリスト教会の統計を見ると、大人の教勢は30年前と変わりません。すなわち成長がないと言うことです。子供(昔は日曜学校、今は教会学校)は三分の一に減少しています。この傾向は20年前くらいから顕著に表れてきました。




原因には子どもの数が少なくなって来た少子化や、子どもを取り巻く環境の変化があげられます。今、子どもを対象にした定期的な礼拝が行われなくなった教会も少なくありません。このまま何もしないでいると高齢化が進みやがて日本の教会は滅んでしまいます。




日本政府は将来に危機感を持っています。そのため今、出来る事を始めようとしています。教会はどうでしょうか。多くの教会は子どもが少なくなっていることを感じつつも具体的な方策を行っていないのが多くの教会の現状です。




緊急な祈りは子どもを教会に取り戻すことです。教会全体が子どもの大切さを認識し、教会全体で子ども伝道に祈り、予算、時間、場所等を提供することです。




子供は邪魔、うるさい、面倒、それよりも自分が恵まれることが大事と言う人もいます。しかしこれはイエス様の悲しむことです。子供の喜びを、こどもの楽しみを、こどもが恵まれているのを自分の喜びとする教会が大事です。




保護者に対しても暖かい目を持って受け止められるようになるように信仰の眼差しを修正しなければなりません。




「子どもと家庭を応援する水郷めぐみ教会」あそこの教会は子どもを大切にしてくれているとの証しは伝道の大きな力です。




自分中心の視野から神様中心の視野に変わると沢山の恵みが分かって来ます。信仰の目は自分と相手の人間を比べることではありません。自分の罪を見つめ、罪を赦してくださった神様を見上げ、その恵みを頂いて隣人を見るのです。これが信仰者の歩です。




幼子伝道は教会の希望となります。「あなたの隣人を愛しなさい」に幼児も入れてください。





冬の寒さは好きでありません。でも夜、空を見上げると沢山の星座がきれいに輝いています。



寒い冬が一番きれいです。時々首が痛くなるまで見上げることがあります。そこは宇宙船が今も人を乗せて飛んでいるのですね。




日本人で6ヶ月間、宇宙船の中で生活した宇宙飛行士がいました。この人は船の中から色々実験をして私たちに見せてくれました。




地球に帰ってきたとき自分の足で立つことが出来なくなっていました。宇宙では筋肉に負荷がかからないので力が弱くなるのです。筋肉は負荷をかけないと能力が失われてしまいます。




今、日本には負荷をかけないことがよい事と考える人がています。赤ちゃんからお年寄りまで皆で助けてあげようと優しい?気持ちが満ちています。その結果、大人になっても助けてもらわないと自分の足で独り立ちすることが難しくなる人が多くなっています。




お年寄りの方が荷物を持っているのを見て、助けることはいいことと思っているので荷物を持ってあげようとします。でも荷物を持っているお年よりは自分でもてる力があるから持っているのであり、それを取り上げてしまうとことは力を奪ってしまうことになります。




出来るものまで手助けするのを過保護と言います。自立できるのが本当の親切です。




私たちキリスト者は自分の事を「クリスチャン」と呼びます。これは未信者がつけた「あだ名」であってイエス様が言っているのとは違います。




イエス様は自分を信じる者に対して「弟子」と呼ばれました。そして、全ての民を私の弟子としなさいと命じられました。ですから私達はイエス・キリストの弟子なのです




弟子は師を見習って生きていきます。イエス様には弟子が12人いました。12人は弟子としてイエス様の教えを実行し世界中に教会を作ったのです。




私たちはイエスキリストの弟子です。師の教えを広めることの出来る弟子です。




日本の教会にキリストの弟子がいたら教会は成長します。「喜び、祈り、感謝」が弟子のしるしです。弟子は成熟したキリスト者です。




私たちはキリストの弟子になっているでしょうか。助けを求めているクリスチャンでしょうか。使徒言行録には洗礼を受けた人々を「弟子になった人」と書いてあります。自分の足で立つのは難しくはないのですね。







私が好きな散歩コースは、教会から稲荷山坂を上って稲荷山公園に行くことです。稲荷山から潮来の町が見渡せます。遠く香取神宮の山も見えます。




公園には杉やヒノキが見上げる高さで育っています。その公園の一角に大きな石の碑が建っています。そこには野口雨情作の「船頭小唄」が刻まれています。




その歌詞は「おれは河原の枯れススキ 同じお前も枯れススキ どうせ二人は この世では 花の咲かない 枯れススキ」です。水郷潮来の状態をよく言い表した歌です。




それを読みながら旧約聖書エゼキエル47章(先週の説教)を思い浮かべました。今の潮来は先の大地震で液状化やその他の被害を大きく受けました。人口はどんどん減少し、ついに市でありながら3万人を切ってしまいました。




潮来だけでなく日本全体が閉塞状態です。経済も中国に抜かれ、韓国に追われています。政治も混迷しています。




ススキは水郷潮来の代表的な水生植物です。エゼキエルは神様に何が見えるかと問われました。彼は答えます。谷一面枯れた骨が満ちています。神は語ります。これらは生き返るかと。枯れた骨が生き返るには神の言葉と神からの霊が必要でした。




今、潮来に命を与えられるのは神の恵みと神の霊(聖霊)です。神殿は教会を意味しています。そこに集まる我々一人びとリが聖霊の恵みを受け神殿を造ります。




聖霊は車で例えるとガソリンのような働きをします。車を動かすエネルギーです。神殿が完成することはそこから恵みが流れ、広まっていくことです。礼拝を大事にする。聖書を読む(聖書に聴く)祈り、信徒の交わり、捧げもの等ひとつ一つが積み重ねられて神殿は完成し、そこから命の水が湧き出るのです。これは聖書の真理です。




神様は私たちに期待をかけておられます。使徒たちはほとんどが田舎出身で無学な普通の人でした(使徒言行4:13参照)。普通の人であることで遠慮することはありません。神様は私たちに、教会に期待をしています。私たちも神様に期待して信仰生活を続けて行きます。




明治以来、日本の教会にそのような働きが少なくとも2回はありました。枯れススキでもやがて花を咲かせます。水郷めぐみ教会は福音の前線基地です。ここから命の水が湧きあがります。







 皆さんは牧師の仕事は何だと思いますか。




「牧師」と呼ばれる人は日本ではとても少ないです。「牧師って何なの?」と聞かれることがあります。教会の仕事、それってどんなこと。教会の掃除、説教すること。伝道もそうですね。




 日本ではほとんどの教会で「先生」と呼ばれます。先生なら偉いのかなと思う方もいます。でもよく見ているとどうも余り偉いようでもない。いつもぺこぺこしているみたい。何を言われても反論もせず黙って耐えて聞いているみたい。先生と言う呼び方と実態が少し違うような気もします。




韓国では「牧師様」と呼ばれているようです。




牧師の働きの姿を聖書では「羊と羊飼い」との関係に譬えていることが多くあります。牧師は羊飼いのような働きをするのが聖書の教えるところではないか。羊飼いの働きの最終的な目標は、羊を安全な場、すなわち私たちにとっては天国に導くことです。




これはなかなか簡単ではないでしょう。羊飼いのもっとも苦労するところです。なぜなら羊はとてもわがままで自己主張が強い動物なのです。「私たちは、おのおの自分かってな道に向かっていった。」(イザヤ53:6)その為に牧童犬を使うこともあります。




時には杖や鞭を持って正しい道へ戻すこともあります。鞭は痛いです。羊が間違わないで安全な場に進むようにするためです。




日本では自分の思いのままにしてくれる牧師がいい牧師と受けと止められることが多いようです。神様の願いは皆が全員天国に入れるようになることです。そのように導く牧師が天国で感謝される牧師です。




あの時どうして牧師先生は正しく導いてくれなかったのかと、天国の門の前で言われることは牧師の一番つらいところです。皆が天国にいけるように牧師は祈ります。神様の御言葉を解き明かします。




信仰と違う思いがあれば厳しいことも言うかもしれません。私たちも努力しましょう。礼拝を大事にしましょう。感謝の捧げものをしましょう。祈りに聖書を読むことに励みましょう。




誰のためでもありません。自分のためです。自分が祝されると周囲も祝されます。




でも、牧師って大変ですね。悩んでしまうこともあるでしょうね。孤独でしょうね。みんなで支えないと。それが力になりますね。



1月








 牧師は今年満65歳になります。ここまで神様の憐れみによって導かれてきたことを感謝しています。




社会福祉法人を立ち上げ、そして困難な宗教法人も取得することが出来ました。経験も知識もないものがここまで来れたことは神様の大きな憐れみと和子先生の助けによるものです。




この二つの法人は3万人を切った過疎地であるこの町で伝道するに大きな力となっています。これからの祈りの課題は牧師の後継者です。先日の役員会でも話題となりました。




その為に必要なことがあります。1)神様の召命。2)教育(特に神学教育)を受けている。3)神様が立ててくださった組織(教会や教団)からの承認。です。




「私は神様から召命を受けました。あすから牧師になります。」の言葉は尊いと思いますが、それが自分の思い込みであるのか、本当に神様から召命であるのかを吟味する必要はあります。




使徒パウロは神様から直接召命を受けた人でした。そのことを確信するために3年の間荒野に行きもう一度聖書を学びました。そしてエルサレムに出向き使徒団の承認を受け異邦人伝道者として立てられ神様に用いられるようになりました。




私たちの教会は日本ホーリネス教団との関係が薄いです。「教団から派遣されるには教団内の牧師が満たされた後でないと派遣できません。単立の教会は自分の教会で後継者を育ててください。」といわれています。




もう一つの祈りは信仰の後継者を育てることです。しかし簡単ではありません。信仰と祈りが求められます。自分の家族に友人、知人に信仰者が生まれるのにはそれらの人たちに自分の信仰を見てもらうことです。それは私たちが神様を大切にしている姿です。




神様を大切にすることの第一は礼拝を守ることです。洗礼志願書に「礼拝を重んじる。」ことが書かれています。




礼拝に出ることは神様とお会いすることです。賛美、祈り、献金、説教など礼拝プログラムの中で神様は働かれます。礼拝出席は神様への最高の奉仕でもありますし、神様を拝することは神様が一番喜ばれることです。




ここさえ抑えていれば大きな祝福がもたらされます。後継者も神様が備えてくださいます。




今年も礼拝を大切にして行きましょう。礼拝は信仰の基本です。何事も基本が大事です。











 今年、私たちの教会でS君が成人式を迎えました。とっても嬉しいことです。




S君との出会いは1歳で保育園に来た時から始まっています。最初の言葉を覚えたのも保育園でした。私がしていた腹話術での会話でした。




小学生になって日曜学校に、中学生、高校生に進みそして洗礼を受け今は親子礼拝や午前の礼拝に参加しています。神様の恵みに導かれています。




教会の大きな働きは伝道です。そして伝道を進めるのに聖書は二つのことを教えています。「宣教」と「教育」です。




イエス様は復活して弟子たちに命令を与えました。一つは全ての国民を私の弟子にしなさい(宣教)。二つ目は、私の命じたことを守るように教えなさい(教育)です。




使徒言行録にはこのことを実行し教会が世界中に広がっていったことが詳しく書かれています。両方がバランスよく行われていたのであのような祝福を受けていたのです。




ホーリネス教会は出発が伝道運動でした。教育には目もくれずに伝道を推し進めて行きました。一定の成果がもたらされました。しかしやがて教会は分裂し伝道も行きずまってしまいました。




教育は時間がかかります。私は保育園に幼稚園を加えて教育面の強化を図りました。教会では親子礼拝において和子先生を中心に聖書教育が行われています。その中からこれまでも洗礼を受ける青年が起されています。




明治初期に来た宣教師は日本人の知的な素晴らしさをみてキリスト教学校を次々に建てあげ伝道の働きとしてきました。当初はそこから多くの青年がイエス様を信じて洗礼を受けるようになりました。今はそれらの学校は普通校となり伝道の働きが以前よりは弱くなっています。




教会はどこからも制限されないでキリスト教育が出来ます。




日本の教会の将来は子どもたちにかかっています。子供達は神様の存在を無条件に受け入れています。神様はどんな御方かを教えイエス様の言葉を守ることの大事さを教えて行くことが教会のなすべき使命でもあります。




私たちはイエス様のようにこどもを受け入れ、子どもを大切にして行くべきです。




親子礼拝の中から次の受洗者が起されることを期待しましょう。そのために祈りましょう。そして共に伝道の恵みを経験しましょう。







 先週、月曜日は祭日でした。一日家でゆっくりしようかなと考えていましたが和子先生と上京しセミナーに参加しました。




会場は四谷です。開始時間よりも早く着いたので駅の喫茶店でサンドイッチ昼食を取り時間まで散歩しようと外に出ると目の前に大きく上智大学が見えました。




そこに「聖イグナチオス教会」があったので入ってみました。中はちょうど昼のミサが始まるところでした。正面十字架にはキリスト像があり、手を開いて招きの姿を取っています。次々に人が集まり200名はいたと思います。




司祭が登場しミサが始まりました。ミサの特徴は司祭と会衆が祈りの言葉を交わすことでした。司祭が祈りの言葉を話すと会衆はそれに応えて祈りの言葉を言う。そのようなことが何度も繰り返されていました。




私たちで言うなら交読文のようなものです。でも会衆は本を見ていません。皆さん暗誦しているのです。




ミサが進み聖餐式(聖体拝領)になりました。「カトリック教会で洗礼を受け聖体拝領を受けたい人は前に来てください」とアナウンスがあり多くの人が前に出て行きました。私も出ようかなと思いましたがカトリックで洗礼を受けていないので止めました。




そうしている内にセミナー時間が来たので途中で中座しました。




そして道路反対側にある「幼子イエスの教会」に行きました。ここは9階建ての大きな修道院です。道路を挟んで大きな教会が並んで建っていることに驚きを感じました。それも都会の真ん中です。まるで韓国のようでした。




プロテスタントにはカトリックの信仰を批判する者もいますが、あのように東京の真ん中で毎日一般公開してミサをすることは大きな伝道になります。




カトリックの祈りも日本伝道です。日本に最初に伝道したのは聖フランシスコ・ザビエルです。カトリックの宣教師でした。その信仰生活は私たちと違うこともありますが神様の愛を伝えたいとの思いは同じです。




自分と違うところを見て批判することは簡単ですが批判の前に自分が模範を示せるように祈ることは神様の御旨に適います。




カトリックもプロテスタントも同じ神様、同じイエス様の愛を受けています。カトリックの伝道のためにも祈るこは神様が拒否されることはないでしょう。











2012年の思いがマスコミなどで報道されています。昨年、大きな出来事があったためか「今年は明るく皆が笑えるような年にしたい。」と言う声が多くありました。本当にその通りだと思います。




私たちの教会も明るく元気でのびのびと出来る年になることを祈ります。




教会は第一に神様から召された者たちの集う場です。何事にも神様の御心が大切です。それには聖書を第一とする事です。聖書によって私たちの歩みが御言葉に導かれていることを確認していくことです。




注意しなければならないことは自分の願いが御言葉から離れて個人的な思いに進むことです。そうなると教会は進むべき道を見失ってしまい分裂を起します。人間には個人的な考えがあります。それはその人にとって正しい大切な考えです。しかし神様の導きを考える時、その思いが聖書の御言葉によって清められているかを自ら点検することも大事です。




自分の考えは一番正しいと思うのが人間です。ややもすると神様の御言葉よりも自分の考えが先に進むことがあります。これは日本の教会で時々見られます。そのため神様からの祝福が分からなくしてしまうことがあります。




キリスト教会は愛に活かされる、愛に生きるところです。聖書の語る愛は「キリストが私たちを許し受け入れてくださったようにあなた方も互いに受け入れ合いなさい。」です。




イエス・キリストが私たちを許し受け入れてくださったことは大きなことです。他者を受け入れることは簡単なことではありません。イエス・キリストの愛を経験して初めて出来ることです。




昨年の大地震で日本人は「絆」の大切さを再認識しました。横との繋がりです。私たちは横との繋がりと共に上(神)との繋がりを持つことができます。




今年、神様との関係が神様をいつも目の前に見ているような関係でありたいと願います。そして神様の御心を第一にして進むこと。そこに素晴らしい恵みと祝福が開かれてきます。




全ての人が恵みを受けとって欲しいと父なる神様は願っています。「私を見てくださいそうすれば神様の恵みが分かります。」といえることが最高の証です。皆さまの上に恵みが豊かであるよう祈ります。











 2012年を迎えました。一年間過ぎるのが本当に早いです。一年間には色々な出来事があります。




 昨年はつらいこともありましたがまた感謝なこともありました。教会に新しい命が与えられた事、イエス様を信じて洗礼を受けた人が与えられた事、結婚式がありクリスチャンホームが与えられた事、春と冬の特集にたくさんの方々に御言葉が伝えられた事、バイブルキャンプ等、数えていくとたくさんがあげられます。




キリスト者は神様から与えられた恵みを数えるとこが基本です。そして今年も神様に大きな期待とビジョンを与えられて進んで生きたいと導かれています。




神様は私たちに恵みを備えてくださっています。使徒パウロは「目からうろこが取れた。」とき主イエス様の恵みが分かりました。




私は今年65歳になります。ヨーロッパの教会では牧師定年です。しかし日本では牧師不足のため75歳が定年になっています。ですからあと10年は元気でいなければなりません。




65歳になると体に勤続疲労が出てきます。私にその傾向があります。




先日久しぶりにお会いした2人韓国の人が私の顔を見て心配し大久保に私たち夫婦を連れて行ってくださりイケメンが働いている韓国店に行き美味しい韓国料理をご馳走してくださいました。その方曰く「先生、もっと元気になってください。これから10年が頑張る時です。必要なら韓国に行き漢方を処方してもらいなさい。」と言ってくれました。




その後、家内に足もみを少ししてもらったらとても体が楽になりました。家内曰く「薬だけでなく身体全体をもみほぐす治療法があなたに必要かも。疲れが体に溜まっている。」




今年は薬だけでなく身体全体を大事にし元気で定年まで主のご奉仕に励みたいと新たに導かれました。身体の管理はとても大切です。




「先生、最近元気がありませんね。」と言われないように心がけることが今年の目標の一つです。




今年は会堂建設10年目です。来年は教会開拓20年目を迎えます。また小羊保育園創立35年目を迎えます。記念となる年です。




その為にも健康が守られ一つ一つに力を注いでいけたらと祈っています。




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