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12月









 今年最後の日曜礼拝になりました。




 12月はクリスマスの月で一年で一番忙しい時でした。4日の保育園のクリスマス会を皮切りにクリスマス関係の集いが6回ありました。




 それだけ集会があったということはクリスマスのメッセージを聞いた人も多くあったということです。




 12月は伝道の一番良い月でもあります。24日でクリスマス関係の集会が終わりました。皆さんもそれぞれの集会に参加されてご苦労でした。牧師はゆっくりとクリスマスの恵みを味わう時間を持つこともなく過ぎてしまいました。




 一つひとつの集会を企画し、宣伝し、そして説教を考え、メッセージを語ることは精神的にも肉体的にもハードな面があります。




 ある人が「牧師さんはクリスマスが苦しみますになってしまいますね。」と言っていました。最近はイヴ礼拝を行わない教会もあります。24日は家庭で静かな時を過ごしたいという方もいます。




 また今年はクリスマスが終わるとすぐ元旦礼拝、そして翌日は聖日礼拝と続きます。説教の得意でない私にはこの期間テレビを見る余裕もありません。牧師にとっては正月が終わって初めて気持ちに余裕が生まれます。


 
 このハードな生活は自分の思いでは続けられません。神様からの召命があって出来ることです。




 だんだん年齢を重ねてくると30代、40代と同じことは出来なくなってきていることを知らされた一年でした。そんな中、身内の中から神様の導きを受けて洗礼を受け、救いの恵みにあずかった者が与えられたことは何よりの喜びでした。




 2年前は母が洗礼を受けることが出来ました。私たちにとって家族が救われることは一番の喜びです。孫の家に行くとみんなお祈りが出来ます。何よりの喜びです。




 新しく迎える一年にも神様は希望と将来のご計画を私たちに対して持っておられることを楽しみにしています。




 もうすぐ3万人を切ろうとする過疎的な町ですが教会や保育園を通して多くの方々に福音を語ることが出来たことは感謝です。礼拝堂もとても素敵です。




 主の御心は一人でも多くの人に福音が伝えられることです。2011年もそんな一年にしたいですね。




 この一年間多くのご奉仕を本当にありがとうございました。皆さまの上に、来る年も主の恵みが豊かであることを祈ります。









 日本の教会の大きな課題は教会に人が来なくなってきたことです。地方の教会はあきらめ半分の思いの中にある所もあります。それでも多くの教会はそれぞれ出来る限りの努力をして何とか教会に来ていただくよう考えながら伝道しています。




 定期的に新聞折り込みをしている教会、子育て支援で会堂に親子が集う教会、宣教師に来て頂いて英会話をする教会、老人ホームに力を入れている教会等々。




 それぞれ努力をしています。これはパウロが「福音のために私はどんなことでもする。」と言った宣教に対する信仰です。




 私も以前色々なことをしました。日曜日の朝、日曜学校開始前に車にスピーカーを付けて讃美歌を流し巡回をしました。会堂で3年間学習塾をしたこともありました。




 7年間、夏の間アメリカの青年が泊まり込んで英会話教室をした時もありました。彼らは全く日本語が話せないので私はだいぶ苦労をしました。




 今はご存知のように保育園、幼稚園をしています。年2回の特集には園関係者を招きます。今年も5月と先週と2回しました。それぞれ沢山の方々が来てくださり音楽を聴き、メッセージを聞きました。




 教会に沢山の方々が集まることはイエス様の御心にかなうことであり嬉しいことです。最近は親子礼拝に卒園生関係の出席があります。午前の礼拝と雰囲気は違うことがあります。でも、メッセージ、祈り、賛美、献金と内容は午前の礼拝と同じです。




 礼拝形式は教会によって色々あるように、めぐみ教会でも午前礼拝、親子礼拝と二つの礼拝があることは感謝なことです。




 先週日曜午後は私の高校同級生関係で4人の人が来てくれました。とっても嬉しかったです。




 人間関係を築くことは大事です。私たちは人と人とのつながりで導かれることが多いのです。ですから良い関係を持つことを大切にします。自分の信仰生活を見て頂くことは伝道の力となります。




 5月の母の日礼拝、12月のクリスマス音楽礼拝に来られた方々、そして昨日の公民館で行われたクリスマス発表会でお言葉を聞いた中から続いて導かれる人が与えられるよう祈りましょう。




 多くの御言葉の種がまかれました。祈りは教会のそして私たち個人の大切な神様に対する奉仕であり伝道です。










 先週、潮来二中で公開授業があり行って来ました。一年生の授業は鎌倉時代の宗教を取り扱っていました。




 教室の一番後ろで聞いていたら、ある生徒が「キリスト教はないのですか。」と質問していました。キリスト教伝来は鎌倉幕府が終わって約130年後ですからこのころはまだありません。




 先生「そういえばもうすぐキリストさんの誕生日をお祝いする日が来ますね。」と言っていました。




 授業が終わってこの先生と個人的に話をする機会があり「私は牧師です。」というと先生驚いて疑いの目で見ていましたが(私の外形は牧師に見えないのでしょうか)近くにいた卒園生の生徒にそのことを話すと「うん、園長先生は牧師だよ。」と証言してくれました。




 牧師ですから時々「教会に来て見ませんか」と声かけをすることがあります。そんな時「私はクリスチャンでもないのに教会に行っていいのですか。」と返事が来ます。




 今日はクリスチャンでない方々が多くお出でになりました。教会の一番の喜び、そしてイエス・キリスト様の喜びは神様を信じていない方々が教会に来ることです。なぜならイエス様は「疲れた者、重荷を負う者はだれでも私のもとに来なさい。」と言われています。




 水郷めぐみ教会は「子どもを大事にする教会」として18年前に始まりました。その一環として「こひつじ園」があります。




 また、子どもだけでなく、広く地域の皆さまにもイエスキリストの素晴らしさを知っていただきたいと日夜、祈っています。水郷めぐみ教会はいつでも皆さまのお出でをお待ちしています。




 私は先月イスラエル(キリスト教発祥の地)に行ってきました。日本から17時間かかりました。そこには世界中から多くの人が集まっていました。黒人も白人も私たちも。




 そして言葉は違うのですが一つの賛美歌をそれぞれの国の言葉で歌い合いました。歌った後、にこやかな笑顔で握手を交わしました。わずかな時間でしたが私たちはイエスキリストを通して一つになれました。




 イエス様は園児にも小、中学生にも大人にも平和を与えてくれるお方です。そのため神でありながら人間として生まれてくださったのがクリスマスなのです。




 今日おいでくださった皆さまに神様の祝福がありますようにお祈りします。










 イスラエル、神様が選ばれた世界で唯一の国です。特にエルサレムはアブラハムから始まり、ダビデ王、イエスキリストの十字架と復活で救いの完成した町です。そしてここから全人類へ救いが広がって行きました。




 その罪からの救いが、今 21世紀、全世界に伝えられています。




 エルサレムには黒人、アジア人、白人と全世界の民族が集まり賛美を捧げています。祈る言葉はわかりませんが讃美歌は世界共通です。私たちも日本語で賛美に加わり黒人の人たちと一緒になって主を賛美しました。そして白人の人も加わり賛美しました。




 イエス様が「すべての人に伝えよ。」と言われたお言葉が実現したのです。青く澄み渡った青空の下であちらこちらで祈りの言葉、賛美が捧げられていました。




 私たちもナザレで、ベツレヘムで主が十字架につけられた場で、またガリラヤ湖周辺で日本のリバイバル、水郷めぐみ教会の祝福を祈りました。




 主が弟子たちと最後の晩餐をした部屋、そしてゲッセマネの園で祈られた場所、捉えられてカヤパの官邸に連れて行かれユダヤ人の裁判が行われペテロがイエスを知らないと否定した中庭、主イエスが十字架を担がされゴルゴダへと歩まれた道。




 ひとつ一つ場で聖書を開き、思いを二千年前に走らせました。




 港町カイザリア、パウロはこの町から世界宣教へ船出しました。港からみる地中海は青く透き通り広々と広がっています。海の向こうは何も見えません。しかしパウロは遥かかなたに大都市ローマを見据えていました。そのビジョンの大きさに胸を打たれました。




 聖書の記述がそのまま現代に蘇ります。




 当時一般の人は岩の洞窟に住んでいました。イスラエルは岩、石の国です。イエス様が生まれた場も洞窟です。家畜が飼われていた場所です。しかし今はその場所に立派な教会堂が建てられています。そこで礼拝、黙想が行われています。




 一番の収穫は現地に立つと聖書の記述がリアルになることです。地形、気候、距離感等々です。イスラエルは四国と同じくらいの面積ですが起伏が大きい国です。砂漠、荒れ野、海抜下約400メートルにある世界で一番低い湖、死海など大きく変化に富んだ国です。




 イスラエル人は4、000年間祈り続けています。祈りは続けるものです。



11月





( T・Hの証 )



私は、11月20日(土)の午後に、お茶の水クリスチャンセンターで持たれました「行列ができる教会セミナー ~心に届くコミュニケーションとは~」に参加してきました。




 これは、昨年に引き続き、PBA太平洋放送協会メディア伝道推進委員会の主催によるものです。3人の講師(クリスチャン)によるお話と実演、ケーススタディを通して学ぶ、充実したひと時でした。




 会場は、熱心にネットメディア伝道に取り組む全国の教会から来られた方で満ちていました。




 ★内容は、①だんな雄作先生「簡単!今日からできる、イケてるデザイン」②、倉田麗さん「マーケティング発想で心に届くコミュニケーションを」③、しゅん富田さん「何度も見たくなる『アンコールホームページ』の作り方」というものでした。




 友人である講師の一人(しゅん富田さん)からセミナー開催の知らせを受け、また定員50名限定ということも知り、正式な申し込みが始まる前にPBAにメールを送り参加を申し込みました(私が取り組むインターネットメディア伝道の一つの大きな転機となったのが、昨年末にもたれたこのセミナーでした)。




 ★先月には、水郷めぐみ教会のホームページを全面的にリニューアルしました。見に来て下さる方々が、家にいながら教会の中のことを知り「私も行ってみたい!」そう思って頂けるよう、祈りもって、知恵を尽くして取り組んでいます。




 今までも、「教会のHPを見て来ました」「牧師の証しを全部読みましたよ」と声をかけて下さる方など、声を聞くことも度々あります。




 約半年前からは、礼拝のインターネット中継もスタートし、T兄もリアルタイムで礼拝に参加下さっています。




 そのほか、今回のチャペルコンサートのポスターも、その原案をセミナー講師のだんな雄作さんに見て頂き、そしてアドバイスを頂戴して訂正し作成したものです。




 また、しゅん富田さん(大手企業のグラフィックデザインを手がけるプロの方)とは半年以上前に知り合い、今も継続的な交わりを持ちつつ、時折さまざまなアドバイスを頂いています。




 ★ 教会は「キリストの体」(Ⅰコリント12:12~)であると聖書に書かれているように、私たち1人1人は大切な器官。あなただからこそ与えられた賜物があり、できる働きがあり、奉仕があります。比べる必要は全くありません。




 そして体に必要なのは、健康であること。すなわち、私たちの間にある調和と一致、そして祈りです。




 させて頂けることを探して発見することも、喜びとなります。




 まだ知らない賜物があるかもしれません。主に仕える素晴らしさ、共に味わいたいですね。







 今、政治の世界で一番の関心は外交でしょう。それも中国、ロシアという日本の隣国との関係です。特に中国の日本に対する反感は激しいものがあります。




 今まで日本は50年近くアジアのトップを走り、中国や多くの国々へ経済的援助をしてきました。しかし今は中国に追いつかれ、抜き去られようとしています。




 それだけでなく日本の領土をも自分たちのものと主張し始め、漁船を使って日本国の船に体当たりを仕掛けて来ました。この理不尽な態度に多くの日本人は中国を見る目を変えてきています。




 日本と中国は長い交流の歴史があるだけに残念なことです。今にも戦争が始まるのではないかと思わせるようなことが起きています。




 今までの多く戦争の悲劇を経験し平和の大切さを学んできました。平和は武力でつくられるものでなく、話し合いが大事と私たちは学校で習った記憶があります。




 話し合いの大切さを世界の多くの人が感じています。しかし中国は話し合いを拒否しています。日本政府は中国の出方におろおろするばかりで、独立国としての毅然とした態度が取れないでいます。




 昔、日本は「経済は一流、政治は三流」と言われてきました。今が正にそうです。




 イエス様は「平和を作る人は幸いです。」と言われました。神様の御心は平和です。それは我々人間が神様によって造られたからです。神様は争うように造られたのでなくみんな仲良く生活できるように造られたのです。




 平和を乱すものは悪魔の働きです。聖書には「悪魔の策略に対抗しなさい。」と、書いてあります。




 外交は政治家の責任ですが家庭、職場、教会の責任は私たち一人ひとりにあります。悪魔は家庭にも教会にも争いを起こそうと狙っています。ですから聖書は悪魔の策略に対する姿勢を強く勧め「神の武具を身に着けなさい」と繰り返して書いています。




 今年のノーベル平和賞が中国人に与えられたことは嬉しいことです。中国人にも平和を愛する人がいるのです。今、中国には一億人のクリスチャンがいます(読売新聞報道)。




 今、中国の政府は自分達さえよければとの思いが強い様です。しかしそのような行動は長続きしません。私たち人類は神様から造られた兄弟姉妹です。「地にも御心が行われるように」と毎日祈っています。







 肩にバンドをかけ、腰に機械をつけ、機械の先には細く長いパイプが伸び、そこに丸いぎざぎざした小さな刃が沢山ついていて勢いよくまわっている。機械からは心地よい音が(近くの人は迷惑か)耳に入ってくる。教会駐車場の草刈です。




 今年、何回目の草刈になるでしょうか。Aさん、T 兄、今年も暑い中、力を合わせて草刈が出来ました。そのままにしておいたなら雑草は根を張りどんどん力つけて大きく伸び、一年で車が止められない状態になってしまいます。




 午前中、草を刈っているとパラパラと雨が落ちてきて中止、午後、雨もやみ寒いくらいになりました。でも作業は出来ました。まだ完全に刈り終わりませんが刈った後を見るときれいになり気持ちが良くなります。機械を振り回しているだけですが機械は便利なもので、どんどん刈ってくれます。




 5年ぐらい前は疲れを感じないで出来ましたが、最近は疲れを感じるようになりました。休み休みながらしてます。仕方がないことですがさびしい気持ちもします。




 還暦を過ぎたものにとって時間の流れは恐怖心を起こさせます。出来たことが出来ないようになって来る恐れです。




 若者にとって時間の流れは希望をもたらします。出来なかったことが出来るようになるからです。それは嬉しいことです。




 先日テレビを見ていたら「出来なくなってもいい。今、出来ることすることが老いを前向きに生きることです。」と言っていました。やろうと思えば方法は生まれてきます。始めないと何も起こりません。終わった後はさわやかです。




 みんなでしたら気持ちが一つになり、教会を支えようとの思いも一つになります。自分たちの教会との認識も高まります。




 日本に礼拝者1,000人を超える教会があります。沢山の人が掃除や草抜き、駐車場係りを喜んでしています。自分たちが教会の外を内をきれいにしているんだぞとの認識は大事です。そこに主の恵みは注がれます。




 草一本でも、スリッパ拭きでも簡単な奉仕を教会員みんなでしませんか。最近、会堂掃除に来る人が少なくなっています。




 私たちはしなければならないことを沢山持っていますが、主に対する時間を捧げて奉仕することは主から喜びが注がれる恵みのときになります。


10月






 先週、和子先生と地元選出政治家の集会に参加しました。(私は大きな集会に行く時には和子先生についていってもらいます。)潮来の開花亭で行われ集う人が約700名ぐらいと言っていました。開花亭いっぱいの人で会場は熱気に溢れていました。




 道路には誘導灯を持った係りの人がいて車の整理をしていました。近くの道路は渋滞です。潮来で一番人が集まる集会と思います。




 この集会で多くの人を見ていて6月に行った大和カルバリー教会のことを思い出しました。私が参加した第三礼拝は500名ぐらい集っていました。それを日曜日礼拝に3回行っていました。




 ですから日曜礼拝に大和カルバリー教会で礼拝する人は1000人を超えています。それが毎週行われているのです。日本のメガチャーチです。




 ここの主任牧師は40年前に赴任した時、礼拝者は二十数名でした。1000人教会を夢見た時に三つのことを考えました。




 1)牧師は信徒を裁かない、信徒は牧師を批判しない。赴任当時教会には力ある家族がいて何でもその方の意向を聞かないと決められない状態でした。




 若い牧師はいじめられていました。牧師もその人を裁いていました。しかしそれは神様の願うことではないと気づき、みんなで話し合い、聖書のお言葉を確認していくようになりました。今、その家族は牧師に一番理解をしてくれます。




 2)分かりやすいメッセージを語る。色々な本を読み、一般の人が興味を持つような話かけをもって説教をしています。外部の人のために音楽に力を入れています。音楽は一番親しみ易いからです。




 3)神様の賜物・癒しの恵みを目に見える形で証をしています。毎週千人以上の人に癒しの祈りをするのは大変なことですが牧師は礼拝が終わると癒しを求める人に並んでもらい身体に手を置いて祈りをしています。




 これが神様の祝福をいただく方程式と語っています。そして信徒は目立たない影の奉仕に誇りを持って教会を支えています。




 その他、地域性、牧師のセンスの良さ、貪欲までの探究心等などあります。




 もし、私たちの教会に毎週100名の礼拝者が集ったらどんなでしょうか。小さな町です。100名でも大きな証が立てられます。それにはまず、暖かな教会を目指していきましょう。






 こひつじ園には今、130名の在園児がいます。赤ちゃんから来年小学校に入るお子さんです。その中には私の孫もいます。




 5才の孫は園で私のことを「園長先生」と呼びますが、園から帰ると「おじいちゃん」と呼びます。2歳の孫は園でも「おじいちゃん」です。でも園では私が園長であるのを理解しているようです。




 数年前「孫」という題名の演歌が大流行したことがありました。「孫と言う名のかわいい宝物」と歌われていたと思います。




 「じいちゃん似ているねと言われ、えびす顔」という歌詞もあったと思います。同窓生に会うと話題は飲んでいる薬と孫の話になります。孫と一緒にいることは楽しいです。しかし「来ると嬉しいが、帰るともっと嬉しいのが孫」と言った人がいました。帰ると寂しいものです。




 老夫婦2人では話もあまりありませんが孫が来ると急に会話が弾みます。帰るころには疲れを感じるほど話し続けてしまいます。




 時々昔の写真を見る時があります。私が自分の子供を肩に乗せている写真もあります。もちろん髪の毛は黒々です。時代の流れには誰も逆らえません。




 祖父になった私の祈りは孫たちもイエス様を信じて成長して欲しいことです。




 少子化時代の一番の伝道方法は、自分の子供、孫に伝道することです。おじいちゃん、おばあちゃん、お母さん、お父さん、孫たちと三世代が教会に来たら教会堂はすぐにいっぱいになります。




 信仰は自分一代で終わらせるものではありません。「主イエスを信じなさい。そうしたらあなたもあなたの家族も救われます。」と聖書は語っています。




 日本の伝道の第一歩は自分の家族からです。しかし簡単ではありません。日々の生活を一番よく知っているのは家族だからです。またよく知っているだけに伝道が易しいとも言えます。




 私たちの教会が親子二代、三代と家族で礼拝が出来るようになったらとても素晴らしいと思います。それはイエス様の願っていることでもあります。家族伝道という言葉が最近聞こえなくなっているような気がします。大事なことです。




 もう一度家族伝道を考え、家族の救いのために熱心に祈るようにしましょう。子どもや孫たちと一緒に教会に来れたらこれほど素晴らしいことはないでしょう。






 先週もあわただしい一週間でした。教会堂修理のこと、東京の病院、民生員・児童委員の遠足、大洗、会堂掃除等々1週間があっという間に過ぎていきました。また気の重いことが多い毎日でもありました。




 疲れた身体を引きずって家に帰ってきて最初に見るのは妻の顔です。にっこりと笑顔で迎え「お疲れ様でした。」と声をかけてくれる姿は一番の癒しです。




 今年、ノーベル賞受賞者岸根栄一教授は受賞の報告を受けた時「賞の半分は妻にあげたい。」とインタビューに答えたそうです。奥さんは2歳年下で恋愛結婚だと報じられています。




 ご主人の厳しい毎日の研究生活を支え、慣れないアメリカ生活での家事と子育て、そして言葉の違いなど数えれば切がないほどに大変な生活を奥様は毎日送られたと思います。




 研究で悩み考え苦悩しているご主人を見るだけでも奥さんの気持ちも落ち込んでしまっても不思議でない中で、家に帰ってきたご主人を暖かく迎えてあげられた奥さんの姿。岸根先生はその姿に癒され一日の疲れが取れ、明日への力を回復したそうです。




 毎日の研究者としての力の源が奥さんにあったからこそ先の言葉が出たのです。




 「有能な妻は夫の冠。」と箴言12:4に書いてあります。(聖書を開いて12:4を読んでみて下さい)「有能」は「しっかりした」という意味の言葉でもあります。




 岸根先生の奥さんはアメリカ生活をしていても日本式にしっかりとご主人を支えておられているのです。




 時々旦那さんが先に亡くなるとき、奥さんに最後の言葉「ありがとう。今まで支えてくれて嬉しかった。」と言われたと聞くたびに胸が篤くなります。そして考えることは、自分はどんな言葉を最後に妻に言えるのかなと考えます。




 教会を支えているのは牧師よりも牧師夫人の力が大きいと昔から言われています。日本最大の教会の牧師夫人は昔から前面に出て奉仕をする人ではありませんでした。しかし陰で牧師をしっかりと支えているのです。




 先日この牧師先生の説教を聴きました。自分が今まで来られてのは妻の力によるところが大きいと会衆に向って話していました。ひるがえってみて、私は今だにそんな言葉を話したことがないことに反省するばかりです。







 人間は地球上の生物の中で一番優秀な生き物です。工業生産においては素晴らしい発展があります。ノーベル化学賞で日本人が今年も2人受賞しました。




 これらの科学者の働きによって生活はどんどん向上していきます。あと50年後の世界はどうなっているのか想像もつきません。




 しかしまた人間は地球上で一番醜い生き物でもあります。戦争の悲劇を経験しても戦争をやめようとしません。犬は、生まれた国も、種類も、大きさも違っても、戦争をしないと言っていました。人間は生まれた国が違うだけで戦争をしてしまいます。




 戦争までしなくても人間の心の中には自分中心の考えが大きく占めています。そのため少しの注意でも気持ちが切れて相手を批判し攻撃します。




 これが教会の中で起こったら悲劇です。なぜなら教会は「愛」を主張しているからです。




 聖書では「私たちがサタンにつけ込まれないため。」と言っています。サタンは私たち人間を狙っています。人間以外の生き物を攻撃しません。サタンが地球を支配するには人間が一番邪魔になるからです。




 その中でもサタンにとって一番の強敵はイエス様です。イエス様はサタンの誘惑を見事に打ち破りました。イエス様に勝てないサタンは次にイエス様を信じているキリスト者に狙いを定めています。




 サタンは絶えずキリスト者を狙っています。その姿は「ほえたける獅子のように、誰かを食い尽くそうとして探しまわっています。」と聖書は警告しています。私たちはサタンの存在、手の内を聖書から教えられています。




 サタンの狙いは私たちの「自我」「わがまま」です。イエス・キリストの十字架は私たちを「自我」から解放してくださいました。ですからサタンにつけ込まれる隙はありません。




 しかし車が定期点検をするように私たちも時々定期点検が必要です。今の自分の思いは自我から来ているのか、自分のわがままから来ているのかを。サタンは天使の様な姿を取って近づき惑わします。サタンが私たちを狙っているということはそれだけ私たちにはサタンが羨むほどの大きな恵みが与えられていることでもあります。




 この恵みを大切にしていきましょう。サタンに勝つ人間は地球上で一番美しい存在です。


9月


9月26日号 「   」




先週の土曜日は市内三つの小学校運動会に顔を出しました。




 本部席に行き校長先生に挨拶をしテントで観戦しました。すると保護者の役員の方がすぐにお茶を持ってきてくれます。校長先生の隣に座るのはいいですね。




 ある小学校では紙コップに冷たい麦茶、これは冷えていておいしかったです。おかわりも出来ました。別な学校ではボトルとそれに紙コップを添えてくれました。便利でしたがボトルのお茶は冷えていませんでした。




 最後の学校ではお茶碗に麦茶が入っていました。お茶碗でしたのでおかわりをするに気が引けました。学校それぞれの接待でした。ここは予算上お茶碗なのかな、ボトルと紙コップとは飲みやすい配慮があるが冷えていない、などと考えながら小学生たちの演技、競技を見させていただきました。




 それぞれの学校では似ている競技をしていました。しかし昔と変わったことがあります。学年全員で徒競走をしないことです。地区対抗とか紅白対抗リレーの競争は既に早い人が選ばれています。




 昔は全員が駆け足競争をして誰がクラスで早かったか今でも記憶しています。今は1位、2位と速さを決めないのは駆け足の不得意な子に対しての配慮なのかもしれません。徒競走でなく途中に障害物を置いての駆け足がどこの学校でもありました。




 子ども達は小学校を卒業したらすぐに競争社会に巻き込まれます。こんな田舎でも中学校入学テストがあります。中学を卒業すると全員競争社会の中に置かれます。進学も雇用も競争社会です。




 こひつじ園は今週土曜日運動会の予定です。一日の行事です。




 こひつじでは4,5歳になると駆け足競争をします。5歳児は100メートル以上駆けます。速い子、そうでない子といます。途中転んでしまう時もあります。また逆走する子もありました。それでもみんな先頭から離されても最後まで駆けます。拍手が起こります。早い子よりも大きな拍手です。拍手を受けた子は大きな励ましを受けたことです。




 ご褒美は皆同じメダルです。時々卒園生に合うことがあります。「園長先生から頂いた金メダル今も家にかけてあるよ」と言われます。


みんなそれぞれに一生懸命に駆けた子ども達です。



9月19日号 「   」




先週、三日間の牧師研修がレイクエコーでありました。近県から牧師が22名集まっての学びでした。




 講師は浦和福音自由教会牧師 坂野慧吉先生です。坂野先生はお茶の水キリスト者会館にて牧会塾を指導されている先生で、牧師の研修に力を入れておられる先生です。




 家を離れてのとてもよい学びの時でした。ここは自然も豊かでレイクエコーからは眼下に北浦がよく見えます。まるでそこはイスラエルのガリラヤ湖のような雰囲気があります。




 先週は礼拝後、西岡先生より「きよめ」についての学び会をしました。イエス様の恵みは大きく四つに言い表されます。




 「新生」これは新しく生まれることです。すなわち神様の子どもになること。




 「聖化」これは神様の子になった私たちがさらに神様の子としてふさわしい生活をすること。




 「神癒」心、身体の病を神様が癒してくださること。




 「再臨」神様は私たちを新しい世界に移すために来てくださる。




 この四つの恵みを『四重の福音』とホーリネス教団は110年前から語っています。そして110年間多くの人たちが信じて天国に行きました。




 先週99歳になる千葉県岬教会名誉牧師が天に召されたと連絡がありました。この先生は神様の子どもとなってから生前、沢山の恵みをいただきました。20年前に奥様を先に天に送ってからは一人の生活を続けてこられました。その間、先生の目はいつも上を向いておられもうすぐ自分も天国に行くからと奥様に語りかけておられたといいます。




 私たちの学びの最終目的は天国です。天国はどんなところでしょうか。行かれた人から話を聞いたことがありませんのでよくわかりませんが、聖書に書いてあります。




 今の世界とまったく異なった新天、新地です。そこには涙も無く、悲しみも死もありません。怒ることもないのです。思いわずらいもないのです。労働もありません。争いもありません。赤ちゃんとライオンが仲良く遊んでいられます。




 しかしこの世の現実はそうでありません。厳しいものがありますが、四重の福音の恵みを経験することは天国の恵みを先取りすることです。



9月12日号 「   」




最近、話題になっていることに高齢者の所在確認のことがあります。役所の記録の中には坂本竜馬と同じ年齢の人が生きているとか、考えられないようなことがあります。中には親が死んだのを役所に届けないで親の年金を受け取り続けていた人もありました。




 この事件のきっかけになったのは地区の民生委員が、ここのご老人を最近見かけたことがないと役所に連絡したことが始まりでした。そして次々に高齢者の生存が確認されていない実態が明らかになってきました。




 大阪で3歳と1歳の子どもが部屋に置かれたままで食事も与えられないで死亡した痛ましい事件がありました。このときも地区の民生委員が児童相談所に連絡をしたことが始まりでした。




 ですからこれらのことがニュースになるとよく民生委員がテレビに登場してきます。しかし、現在、民生委員になる人が少なく定員を大きく割っているのです。




 民生委員の働きは地区の生活を安心して見守ることにあります。赤ちゃんから高齢者までそこに住んでいる全員が民生委員の対象です。育児のことから学校のこと、退職した人のことそして一人住まいの高齢者のことなどなど。とても幅の広い内容です。厚生労働大臣からの委嘱です。




 幸い潮来は保守的な田舎ですから高齢者の生存が分からなくなっていることは今のところありません。




 私は今、民生委員6年目になります。主な業務は福祉です。福祉は「神が宿るところ」と言われています。ですから神様の愛の行為にとても似ています。それだけにキリスト者が積極的にかかわることが出来たら大きな働きが出来ると思います。




 それは教会が社会に貢献することにもなります。日本の教会は社会貢献が少ないと言われています。教育には大きく力を注いでいます。明治にキリスト教禁令が解かれ、来日してきた宣教師は教育に力を注ぎました。




 今、キリスト教大学が日本各地にあります。教育は人を育てます。それは社会貢献をするのが目的です。神の証しになります。




 キリスト教教育を受けた者が体を使って神の愛の実践を出来たらキリスト教会に対する人々の目が変わると思います。神様の愛の心を持って民生委員をしています。




9月5日号 「   」




保育園には時々途中入園のお子さんがいます。先日も途中入園のためお母さんと入園するお子さんが面接に見えられました。




 具体的な話は担当者がします。一応の話と説明が終わった後「私は小学生の頃、四丁目のめぐみ教会日曜学校に行っていました。」と話すのです。「エッ」と驚きました。目の前にいるのは日曜学校の生徒であった人で、今はお母さんになったのです。




 さらに続けて「だれだれさんと友達で、よく日曜学校に行き色々なイベントで楽しい思い出があります。」「私を覚えている。」「覚えています。先生は昔と変わらないです。」と言ってくれました。昔の記憶を一生懸命にたどると潮来小学生であることを思い出しました。嬉しい気持ちになりました。




 先週、月曜日です。近くのスーパーに飴と梅干を買いに行きました。千円札を出しておつりをもらおうかなと待っていたら「あのー、、。」と言うのです。




 「あれ、お金は渡しましたよね。」と言おうと思ったら「平山先生、久ぶりです。めぐみ教会日曜学校に行っていた私です。」と話したのです。そこで顔をよく見ると思い出しました。当時の面影がまだ顔に残っていました。すぐ名前も分かりました。お父さんからもらったという古い聖書を持って毎週日曜学校に来ていました。嬉しくなりました。




 私は祈りの中で「34年間の間、日曜学校に来ていた子ども達、保育園を卒園した子ども達、またバプテスト教会に行っていた子ども達が、もう一度教会に来ることが出来るように。」と祈っています。




 その数はどの位になるでしょうか。数千人になります。3万足らずのこの町でその割合は大きいです。




 私たちが34年前、潮来に来た時、沢山の高校生が導かれました。その多くは潮来幼稚園の卒園生でした。幼稚園で蒔かれた御言葉の種が実を結んだのです。




 日本には多くのキリスト教大学があります。卒業生も沢山います。保育園の保護者の中に「私はキリスト教学校卒です。聖書の時間がありました。」と言われる方々がいました。今もいます。




 神は言われます。「この町に我が民多くあり。黙っているな、恐れるな語り続けよ。」と。多くの蒔かれた種が芽を出し、成長し、実りを結ぶように祈ることは大事です。


8月