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6月




私はもうすぐ満71歳を迎えます。年齢が増えるのは誰にも止められません。

私たちの年代は団塊年代と言われ日本歴史上で同じ年に生まれた人が一番多い世代です。生まれたときはこんなに赤ちゃんが生まれこれから日本の将来は明るいといわれました。

そして我々が成長した時代、日本はすごい高度成長時代を迎え、日本の経済はNO1と言われました。当時の我々は「金の卵」とその労働力をもてはやされました。日本中が活気にあふれていました。

力余った若者は当時国鉄の列車を止めるのは朝飯前。山手線の新宿駅、渋谷駅などに侵入し電車を止めることもしていました。良いことにも悪いことにも日本は大きく動いていました。現在の日本の姿を作った世代は団塊世代です。

郊外には四階建てのアパート群の団地がどんどん作られていきました。あれから50年。団塊世代は高齢者になり70歳を迎えています。

高齢者になれば人間誰でも衰えてきます。あのダビデ王も。働きが出来なくなってくると病にもなり体の不自由な人も多くなります。そのため医療費、介護費の増加(人口が多いので費用も莫大になります。)

国の予算の大きな部分を医療費、年金、介護に割かれ日本の予算は大幅な赤字予算になっています。少ない若い人にその負担が重く乗っているとマスコミや政治家は叫びます。

あやめ祭りだけでなくどこの観光地も多くみられるのは高齢者です。働ける人よりも働けない人の方が多くなっているのが現実です。

私も最近はお昼ご飯を食べた後、夕ご飯を食べた後、とても眠くなります。主治医は「眠たい時は寝なさい。」と言ってくれます。

70代になり衰えることは受け入れなければと思っています。しかし冴えてくることもあります。聖書を読む力です。若い時と違った恵みが与えられてきています。

何故か考えるに、段々天国に近づいてきているから神様のことが若い時より身近になっているかなと思っています。高齢者の楽しみは神様にお会いできる時が近づいていることです。我々クリスチャンの最終目的はそこにあります。

すでに多くの先輩クリスチャンが行っています。お会いできるのも楽しみです。





夏野菜の季節になりました。

素人の私が野菜を作るのですから上手に育てるのは難しいです。農家の人の畑を見るとそれなりの手が加えられ、野菜はすくすくと育っています。見るたびこうすればいいのかと教えられます。

昨年はスイカがうまく作られたので、今年も始めました。しかし今年のスイカには黒い虫が葉の裏にべったりついてしまい、液を吸い取りスイカは瀕死の状態です。

そんな中でも、虫の被害を逃れ、小さな実を結んだものもあります。朝、見たらゴルフボールの大きなものが2つ見えました。

今年も美味しいスイカが食べられると期待し、夕方見に行ったら穴があけられていました。現場を見ていないので犯人を決めるのは難しいですが、想像するには多分カラスかなと思います。

例年でしたら収穫寸前にカラスが来ます。これは他の野菜でも同じです。今年は虫とか、結実したての実を食べられるとか、例年にないことが起こり対応に苦慮します。

地震、豪雨、気温の上昇など、最近は自然界の変化が大きくなっています。昨日は気温30度にもなりました。暑さ好きな私にとって夏は苦労しませんが、急な温度上昇にはさすがに体がついていきません。

これからの残された短い時間の高齢者にとっては、いろいろな面で生きづらくなっているのが現実と思います。高齢者の運転事故、寝たっきり、介護の必要など、もうすぐ迎える大きな課題もあります。

乳幼児への虐待。中学生の自殺。財務省、文部科学省など、自然界だけでなく人間社会も変な状態になっています。そのような中で一番信頼できるお方が、イエス・キリストです。

私は毎朝、園の職員朝礼のとき聖書を読み短く説教をしています。これは40年間続けています。40年経っても聖書の恵みは変わりません。恵みが増しつつあります。

野菜つくりもやがて出来なくなります。社会の変化に対応できなくなります。しかし最後まで私の手から離れないのは聖書です。

昔のコマーシャルに「何がなくても江戸むらさき」とのフレーズがありました。自然界の変化、年齢の高齢化は避けて通れないことです。そんな中に聖書が手元にあることは大きな恵みです。

今日も私達は聖書を読んでいます。





今、政治、スポーツ、北朝鮮問題で大きな関心が起こっています。

大学のスポーツ界では勝つために反則もやむなしという指導が問題されています。反則をした20歳の選手が記者会見をし真実を語った勇気ある姿には日本中が驚きに包まれました。

政治の世界では公文章の書き換え、廃棄が問題となっています。このことは大阪特捜部でも事実が確認されました。公文書が個人の都合で勝手に書き換えられることは役所がごまかしをしていることです。

先日の読売新聞に、その背後にある日本独特の精神構造が書かれていました。一番の要素は太平洋戦争が敗戦になったとき、アメリカ軍が上陸前に自分たちに都合の悪い文章はことごとく焼却した行動にあると書いてありました。

そして証拠を廃棄した当時の多くの軍、政治家は罪を免れ、戦後政治の重職につきました。

日本には自分が行った行動に対して都合が悪ければ証拠を無くしてしまう風土があるといわれています。あるいは文章を書き換えてしまう。今の時代にもこのことが生きているわけです。

しかし、そのことに対して誰も責任を取らない。うやむや、水に流す。そこには多くの神々(偶像)を都合のいいように受け入れてしまう日本人独特の精神構造があります。

我々神を信じている者にとってあり得ないことと思います。私たちの生活と信仰にとってなくてならないものは文章になっている聖書(神の言葉)です。これは天地が滅んでも変わらない神の言葉です。

2千年間、同じ聖書の言葉にクリスチャンは生かされています。そこには書き換えも改ざんもありません。神様は我々の行動を見ておられます。その意味で我々は神に対しても人に対しても真実に生きることが大事です。

そして我々には世の光としてのイエス様がおられます。我々クリスチャンはイエスキリストの証人です。神様の真実は我々を通して証されます。

混迷の霧に包まれている今日、クリスチャンの証が求められています。家庭が、近所が、職場が証しの場です。

最近クリスチャンの証力が弱くなっているといわれています。クリスチャンの精神構造は永遠に変わらない聖書に支えられています。


5月




今日は私たちにとって大きな喜びの日です。イエス様を信じて洗礼を受けることは我々以上に、天において「神の天使たちの間に喜びがある。」「大きな喜びがある。」と喜びを聖書は繰り返しています。(ルカ福音書15章)

今日、洗礼を受ける Sさんは、こひつじ園の卒園生です。小学生になってからもバイブルキャンプに参加してきました。そして今は高校1年生です。

私たちが東京の教会から潮来に転任したときは、毎年のように高校生の洗礼がありました。それも一人でなく数人の洗礼式でした。

当時、日本ホーリネス教団で一年間洗礼を受ける人は400名を超えていました。今は100人前後の洗礼者になっています。

私たちは多くの時間を園の働きに使っています。そして毎年のバイブルキャンプに卒園生が集まります。我々の祈りは伝道困難なこの地において幼児時期からキリスト教教育をしてイエス様を伝えることです。神様は祈りに応えてくださいました。感謝です。

新しい洗礼者が与えられることは教会にとっても感謝なことです。クリスチャンになることは我々と交わりを持つようになることです。

このことを、ヨハネは手紙の中で「私たちの交わりとは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。」と書いています。洗礼を受けた我々は神との交わりの中にいます。

教会の集まりは人間の集まりでもあります。人間同士の会話が起こることは自然なことです。その会話の中には教会でなければ見られない神様の存在があります。

教会はただ人間同士の交流の場ではありません。神ぬきの交流は教会以外の所にたくさんあります。それらと教会の違いは、交わりの違いはその中に神様が存在していることです。

Sさんは教会に来る時、聖書を持ってきます。そして神様のことを学びます。(洗礼準備は和子先生が担当しています。)

洗礼を受けることは新しく生まれ変わったことです。人間的に言えばクリスチャンとして赤ちゃんの第一歩を踏み出したことです。

ですから私たち先輩のクリスチャンはみんなで支える責任があります。我々の兄弟姉妹になりました。その気持ちを忘れないで交わりをしていきましょう。





今年も、こひつじ園玄関に「つばめ」が子育てをしました。巣は正面玄関の真上の所にあります。数年前に作られた巣を毎年利用しています。

例年ここから5羽くらいのつばめが巣立ちをします。先週が巣立ちの時でした。卵から孵化して2週間くらいで巣立ちします。いっぺんに5羽が巣立ちするのでなく、最初の巣立ちの始まりから最後のつばめが巣立ちするまでに数日かかります。

最後に残っているのはどうも気が小さいようで臆病な性格のようです。つばめにもそれぞれ性格があって面白いなと見ています。

巣立ちのつばめは、空を飛ぶのにまだ幼稚さが見られます。驚いたのは幼稚な子つばめを狙っているカラスがいることです。

カラスは近くの電柱から巣立つつばめを狙って、大きな体で襲い掛かります。アッ!、カラスに捕まると思った瞬間、親つばめが素早く自分よりも数倍の大きさのあるカラスに飛び込んできました。

その動きは俊敏。カラスに近づいたらすぐに反転し、再びカラスに向かう。その一途な姿は巣立ったばかりの我が子を、命がけで守る親の愛を感じました。

カラスは何回もつばめに邪魔され、ついにあきらめ離れ去っていきました。カラスは堅く鋭い口ばしを持っています。蛇をも加えてしまうほどです。

そこに小さなつばめが果敢に立ち向かう姿は素晴らしいものがあります。親により子供のつばめはカラスからの攻撃から守られ、だんだん飛ぶ力を増し加え、親と同じような俊敏さをもって飛び去って行きました。

あの子たちは来年、再び同じところに戻り、親として同じ巣の中に卵を産んで子育てをするのかなと思いながら飛び去る姿を見つめていました。

聖書に「あなたの祭壇に、鳥は住みかを作りつばめは巣をかけて、雛を置いています。いかに幸いなことでしょう。あなたの家に住むことが出来るなら。」(詩編84:3)と書かれています。

小さなひな鳥が大きな親鳥の翼の中に守られる安心感が聖書にもあります。神様は信仰の小さな者を命かけて守ってくださる。我々は神様の守りの中に歩くことが出来る。

今年も卵から孵った5羽のつばめは、無事巣立ちました。お土産として沢山の糞を残していきました。来年もこの巣に戻ってくるのでしょうか。





私は今、潮来第二中学校 第一回卒業生の同窓会長をしています。

私たちは戦後のベビーブームの中で生まれました。平均5人の兄弟がいた時代です。学校は体罰あり、騎馬戦あり、棒倒しありで、今では考えられない学校生活です。

先日、古希の記念として一泊旅行をしました。企画していた2月、相当寒い時でした。行先は足利フラワーパークの大きな藤の花を見ること。富岡製糸場を見学することでした。

今年の天候は異常とも思える寒暖の差のが大きく、桜も藤の花も予定より相当早く咲き、先週行った時は藤の花が咲き終っていました。しかし、藤の枝は想像以上に広がりを持っていました。咲いていた時には見事な姿を見せたであろうと想像しました。

翌日は世界文化遺産の富岡製糸場。2014年に指定された時は長蛇の列ができましたが、今は見学者がチラホラでゆっくりと見学できました。

製糸場が作られたのは明治5年。工場はその時のままの姿を保っています。明治5年にこんなに大きな建物が出来たことに驚きました。それが今も保たれている。

よく見ると建物の基礎の部分は大きな切り石がひかれていました。基礎がしっかりしているのです。足利フラワーパークの藤の広い枝を支えているのは太い幹です。

私たちはどうしても華やかな花に目が行きます。立派な建物の外観に目がとられます。幹を見るとか基礎を見る人は少ないです。

私たちも花を咲かせる人生を送りたいです。花はいろいろですが美しさには変わりません。花を咲かせるには基になる生活が大事です。

聖書の言葉です。

それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。

 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。

 また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。

新約聖書 マタイ福音書7:24~27





連休はいかがお過ごしでしたでしょか。我々夫婦は出かけることもなく家で過ごしました

出かけたと言えば金曜日、和子先生と「県民の森」に行きました。前日木曜日は強風で外に出る気持ちが起こりませんでした。金曜日は風が前日よりは少し収まりました。

県民の森は新緑がとても鮮やかできれいでした。県民の森は大きく二つのゾーンに分かれています。いつもは広い方に行きますが、金曜日は第二の広場に行きました。

ここは「行方平地の森」と名付けられ、草原を進むと起伏のある森に行きます。散歩道も坂が上り下りになり運動にも良いところです。近くには古墳がありうぐいすの鳴き声が聞こえてきます。

二人で歩きながら「那須のようね。」と和子先生。再び第一の広い草原に戻りました。その草原を見ながら思ったことは、イエス様が五千人の人達に食事を提供した場もこんな感じかなと黙想しました。

聖書に「群衆には草の上に座るようにお命じになった。」(マタイ14:19)とあります。県民の森は五千人は無理かと思いますが千人以上は集まれる場所です。その日、そこには10人足らずの人しかいませんでした。

県民の森を後にし、次に行ったのは「道の駅」でした。駐車場満車、人々が手に手に荷物を持って歩いていました。自然豊かな県民の森には10人位の人。大きな建物、野菜売り場等が並んでいる道の駅には沢山の人人。

潮来には自然の豊かな場があるのに、人は道の駅に集まっていました。今、イエス様が昔のように県民の森で奇跡の業をしたら、人々は続々とこの草むらの上に来るかと思いました。

イエス様が人々の興味を引きつけた働きに癒やしの奇跡がありました。今日、イエス様のような奇跡の癒やしは見られません。イエス様が癒やしの業を行ったら数千人の人々が県民の森に集うのではないかと、そしてステージを中心に大きな伝道が出来るであろうと色々なことを考えてしまいました。

イエス様の初期の伝道の場は、県民の森のような、そして霞ヶ浦のような所でした。

日本のリバイバルがここから始まり世界に広がる夢。私のゴールデンウィークに受けた恵みの一つでした。静かな森の中を散策しながら黙想するのもいいですね。


4月


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3月


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2月


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